イーロン・マスク氏
写真提供:ロイター/共同通信イメージズ

 スタートアップから大企業まで、宇宙ビジネスへの参入が加速している。ロケットや人工衛星の製造、打ち上げ、衛星データを活用したサービスまで、巨大市場の潜在性にかかる期待は大きい。本稿では、『投資家が教える宇宙経済』(チャド・アンダーソン著/加藤喬訳/並木書房)から、内容の一部を抜粋・再編集。国家主導の宇宙開発が「宇宙ビジネス」として大きく進展した背景を読み解く。

 NASA(アメリカ航空宇宙局)が慎重だったために停滞していた宇宙事業は、なぜ一気に加速したのか。イーロン・マスク、ジェフ・ベゾスなどキーパーソンに焦点を当てる。

商業宇宙事業の試みはなぜ失敗したか?

投資家が教える宇宙経済』(並木書房)

 1990年代半ばNASAの衛星地上局ネットワークを更新するにあたり、10億ドル規模の提案依頼書を公表する計画がありました。しかし同局の宇宙飛行担当副長官ジョー・ローテンバーグ(Joe Rothenberg)は、設備建設に投資するよりも民間サービスを利用するほうが合理的だと判断。

 1998年、「商業宇宙運用契約」を実現させました。これは民間セクターが建設したインフラに対する10億ドル規模の投資であり、新しい企業が参入できる市場を創出し運用費の大幅削減が期待できました。

 NASAが商業宇宙事業に依存する時代の幕開けにもなり、トム・インガソルはこの新市場に参入した企業を運営することになったのです。商業的な衛星追跡、衛星の作動状態を監視するテレメトリー受信、衛星制御サービスを提供するユニバーサル・スペース・ネットワーク社(USN)です。

 マクドネル・ダグラス社を退社後、インガソルはピート・コンラッド、T・K・マッティングリー、ブルース・マコーとともにユニバーサル・スペース・ラインズ社を共同設立しましたが、USN社はその子会社としてスタートしたのです。

 ちなみに舞台裏では、米携帯電話業界の草分けマコー・セルラー社(McCaw Cellular)の共同設立者ブルース・マコーが黎明期の宇宙企業を強力に支援しました。投資家、共同設立者、そして取締役として培ってきた指導力、ビジネス経験、人脈を活用したのです。

 インガソルによれば、

「USN社の採算性は魅力的でした。一つの地上局建設には1000万ドルかかり、複数の地上局が必要です。また各局の運営には人員が不可欠。仮にその一部を自動化したうえで多くの衛星間でタイムシェアできれば、まさに典型的な『一度買って、千回売る』ビジネスモデルになるわけです。USN社は金銭的な大成功とはならなかったものの、2011年の売却時にはそれなりの利益を上げました。同じく重要なのは、業界に対し宇宙関連業務を民間委託できると実証したことでした」

 USN社は成功にもかかわらず、業界では異端児的存在に甘んじました。NASAが宇宙の商業的可能性に深い懐疑心を抱いていたからです。その姿勢は、1943年、IBM社長のトーマス・ワトソン(Thomas Watson)が電子計算機の市場規模を評して「せいぜい5台くらいだろう」と言った逸話を連想させます。

 しかし、公平を期すために言えば、NASAには慎重になる理由があったのです。1990年代半ば、テレデシック社(Teledesic)が提案した「低軌道に衛星群を打ち上げて商業用ブロードバンド・インターネット網を構築する計画」が失敗しているからです。マイクロソフト社のビル・ゲイツ(Bill Gates)とマコーセルラー社のグレッグ・マコーが描いて見せた壮大な計画の頓挫は、宇宙商業化構想に大きな打撃を与えたのです。

 では、なぜ初期の商業宇宙事業の試みは失敗したのか? 一つには思考力に柔軟性がともなわなかったこと、そしてビジネス経歴の欠如があったでしょう。たとえばデルタ・クリッパー計画が中止されたあと、主任技術者ジム・フレンチ(Jim French)はキスラー・エアロスペース社(Kistler Aerospace)に移り、新型ロケット開発に取り組みました。同社はアポロ計画に関わった有能なエンジニアを擁していましたが、経営陣は元官僚。民間企業の経営ノウハウがわかっていませんでした。

 インガソルはこの状況を「元官僚らには社内の専門知識も、予算内で大規模な工学プロジェクトを完遂するビジネス視点も持ち合わせていませんでした」と評しています。

 ビール・エアロスペース社はいま一つの黎明期の民間宇宙会社。ビジネス感覚には事欠かなかったものの、技術チームが打ち上げをめぐる技術的解決策を見誤りました。その結果、実現不可能な過酸化水素ロケットの開発にこだわりキスラー社の二の舞を踏んだのです。

 成功するには、ビジネスの問題と工学的課題を同時に理解するリーダーが必要だったのです。皮肉なことに、ビジネスと工学を解する起業家はまったく異なる分野の出身でした。それはインターネット業界です。

二人の野心家――イーロン・マスクとジェフ・ベゾス

 マイク・グリフィンがコンサルティング業務に従事していた2002年、ペイパルを売却したばかりのイーロン・マスクが顧客として訪れました。当時、マスクは火星にペイロードを送ることを計画しており「ガラス製の円筒容器に花を入れ、それを火星で撮影して何かが育っていることを示したい」という奇妙なアイデアを持っていました。

 その頃、火星に到達する最も確実な手段はロシアのSS-18『サタン』ICBM。グリフィンはマスクとともにモスクワを訪れますが、ロシア側はペイパル売却で大金を手にしたマスクに法外な価格を吹っかけます。グリフィンの言葉を借りれば、「ロシアはイーロンをカモと見ていたのでしょう。しかし彼は『自分でやったほうがいい』と返答。帰りの機上でスペースX社の設立を決意したのです」

 マスクがスペースX社設立を決める前のことですが、インガソルらが立ち上げたユニバーサル・スペース・ラインズの子会社であるロケット・デベロップメント・コーポレーション(RDC)は次世代ロケット開発で着実な進歩を遂げていました。しかし2001年にインターネット・バブルが弾け事業拡大のための資金調達が頓挫。ロケット・ビジネス起業を狙う野心ある起業家にとって、RDCは魅力的な買収目標になったのです。インガソルによれば、

「野心を持つ二人の大物がRDCに注目しました。イーロン・マスクとジェフ・ベゾスです」

 第二次世界大戦後、アメリカとソ連がそれぞれドイツのロケット科学者を自陣営に取り込んだように、RDCの人材はマスクとベゾスの会社に分配される形になりました。両者とも莫大な資金を持ち、商業打ち上げ業務を始めようとしていました。しかし、決定的な違いがあったのです。インガソルは続けます。

「マスクは打ち上げの技術的困難を理解する能力と、計画を一歩一歩着実に進める視点を持ち合わせていました。一方、ベゾスは資金とビジネス感覚では劣りませんでしたが、未曽有の急成長を遂げるアマゾンの経営で多忙を極めていました。したがって打ち上げ事業に関しては、ビール・エアロスペース社やキスラー社から引き抜いた技術者に頼らざるを得なかったのです。案の定、ベゾスは実用性のない過酸化水素ロケットにこだわり、出だしから時間と資金を浪費する羽目になりました(訳注:ブルーオリジン社の再使用型ロケット「ニューシェパード」は液体酸素と液体水素を燃料とする従来のエンジンに戻し、宇宙旅行ビジネスを成功させている。開発中の大型再使用ロケット「ニューグレン」はスターシップに倣い、二酸化炭素を排出しない液体メタンを使用)」

 インガソルはマスクとベゾス双方が宇宙経済に勢いを与えたと見ています。そして、マスクが電気自動車業界に弾みをつけたことを特に重視しています。

「大勢が見込みのない電気自動車を作っていた時に一人の男が現われ、まともに走るEV車を作って見せたのです。同じことが打ち上げ業界でも起こりました。マスクの成功によって、有能な技術者らが堂々と『できるはずがない』と言われていたことを実現して見せるようになったのです。マスクのおかげで業界は前進し始めたのです」

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