* 本コンテンツは以下講演の【講演動画】と【全文採録記事】で構成しています *
第16回 DXフォーラム
基調講演「DXの前に『社会システム・デザイン』だ!」

開催日:2023年3月30日(木)
主催:JBpress/Japan Innovation Review

「DXの前に、まず『社会システム・デザイン』が必要だ」。そう語るのは、社会システム・デザインについて30年以上にわたり研究を続けてきた、社会システムズ・アーキテクトの横山禎徳氏です。社会システム・デザインとは、社会を「システムの集合体」と捉え、それをデザインするための方法論であると横山氏は語ります。

 横山氏が「社会システム」の着想を得たのは、バブル崩壊直後のこと。世界の国々が相互関与したグローバリゼーションの世界において、産業間の関係性に注目し、独立した縦割りの産業に横串を通すべく考案した概念が「社会システム」であるといいます。

 あらゆる分野において、システム・デザインが不可欠であるという横山氏。講演の後半では、変化し続けるダイナミックシステムである「医療システム」を例に挙げ、さまざまな課題解決における社会システム・デザインの重要性を説きます。

【TOPICS】

  • 社会は「システム」の集合体である
  • 「社会システム」という考え方との出合い
  • 「医療システム」を軸に社会システムを考えてみる
  • 日本の医療におけるシステム・デザインの必要性
  • 「デジタル化」における、「卵が先か、ニワトリが先か」という視点
  • システム化の先進国、アメリカの医療システムの実情



動画挿入位置

「社会システム・デザイン」とは何か

横山禎徳氏(以下、横山氏) 横山です。今日は、「社会システム・デザイン」についてお話ししたいと思います。そのような表現がお耳に達していることは少ないと思いますが、私は30年間、社会システム・デザインをやっています。その普及にはなかなか時間がかかりますが、定義自体も「社会デザイン」や「社会変革」「社会イノベーション」など、いろいろな言い方をされて、どれがどれだか分からないという問題があります。基本的に、私の言う「社会システム・デザイン」は、それらの定義とは違います。従って、「社会はデザインできる」という定義に対して、「それはできない」と考えます。そうではなく「社会というシステムが、デザインできるのだ」というものです。

 だから、「社会デザイン」というのは、私にはよく分かりません。「Social Design」というものは、アメリカで始まったと思います。日本語で「社会」と訳してしまっていますが、(英語の)「Society」というのは、日本語の「社会」より狭いものをいっていると思います。「High Society」といったら、上流階級のことです。それから、「Learning Society」というと、学会のことです。だから、Social Designというのは、社会全体ではなく、コミュニティースケールぐらいのデザインのことなのだと思います。方法論もよく分からないので、運動論的に、いろいろな集会をつくって議論してコミュニティ―の考えをまとめたり、コミュニティーの活動家と方向を決めたり、それを行政と話をしたりというのが、社会デザインといわれていると思います。

 私の言う社会システム・デザインというのは、「社会はシステムで出来上がっている」と考えて、「それをデザインする」という考え方です。日本語でいう「社会」というのをデザインした人はいないのです。だから、社会学者は「社会システム」という言葉を使いますが、それ自体をデザイン可能だとは考えていないようです。でも、私はデザイン可能だと思っています。

 なぜかというと、皆さんの周りにあるものは、みんなシステムだからです。皆さんは、交通システムを使って移動し、インターネットという通信システムを使っています。インターネットというのは、正式に言うと、インターネットワークです。クローズドネットワークをTCP/IPというプロトコルでつないだものをインターネットといっているので、世界中、同じシステムを使っているわけです。だから、そのような意味で、インターネットもシステムです。それから、身近な例を挙げれば、病気になれば医療システムのお世話になり、税金を払う際はタックスシステムに乗っかって税金を払っているわけです。世の中はシステムの集合体なのです。

 高度でややこしいシステムのほうをいうと、原発システム。原発も、実はシステムです。社会システムではなく、エンジニアリングシステムとして考えたことは、日本の失敗であると私は思っています。それから、安全保障というのが最近、非常に問題になってきていますが、安全保障は完全にシステムです。それなしに安全保障はできません。それは、イメージしてみれば分かるかと思います。アメリカ軍と自衛隊がどのように協働して何かの軍事的脅威に対処していくのかというのは、システム的な対応です。だから、全てシステムということなのです。

 社会は全体はデザインできません。しかし、そのようなたくさんのシステムにより社会ができているのだから、社会システムというものは、デザインできるものの集合体ではないでしょうか。そのようなレベルで考えた時に、デザインできないものは、あまりないはずです。

縦割り産業に横串を通す「社会システム」の考え方

横山氏 それに気が付いたのが、1992年です。1992年というと、日本はバブル崩壊の直後でした。その時に、皆さんは「バブルが崩壊して、経済不況になるけれども、経済というものはサイクルだから、いずれどこかで回復するのだろう」と思われたかもしれません。そのような楽観論も、1992年当時、少しはありました。ところが、事態は予想外に深刻でした。銀行の方々は、「それほど不良債権が多くないから、数年で回復するよ」とおっしゃいましたが、銀行システム自体が大きな問題に直面しているのではないのかということを感じました。その時、システムという考え方があまり一般的ではなかったので、どのように捉えたらいいのかと、私はいろいろ考えました。

 不況の際、産業論でものをいうことはよくあります。金融業、銀行業、保険業、不動産業、製造業。古典的な製造業であれば、不況になると在庫が積み上がります。在庫がだんだん少なくなってくると、景気が回復するという発想です。当時は「90年代の後半には回復するのではないか」という見方をされていました。しかし、私はうまく説明はできないまでも「そうではないだろう、世の中、大きく変わっているのだ」という感じがしていたわけです。

 「グローバリゼーション」という言葉は既にありましたが、「グローバリゼーションと国際化の違い」を言えるのは、あまり多くは居ません。「グローバリゼーション」と「国際化」は違います。「国際化」は、国際部に任せておけばいいのですが、「グローバリゼーション」というのは、日本が世界に染みだし、世界が日本に染みこんでくるという、お互いにインターリンク(相互連鎖)した世界のことをいいます。

 グローバリゼーションにおいては、インターリンケージ(相関連鎖)というのがテーマです。私は、インターリンケージというのは地理的な側面だけではなく、他のこともインターリンクしているのではないのかと考えたわけです。産業間もインターリンクしているのではないだろうか、独立した産業ではないのではないのかと考えました。そのインターリンケージを説明するものとして、私は、独立した縦割りの産業に横串を通すという意味で、「社会システム」というものを考えたということです。

 「医療産業」と「医療システム」は、違います。「医療産業」とは病院や薬局、それに従事する人を教育・育成する機関のことでした。しかしその定義は広がっています。例えば、ソニーや富士フイルムなどは、昔は医療産業の中には入れませんでした。今はソニーも医療光学機器をつくっていますし、富士フイルムもいろいろな形の医療機器をつくることをやっています。

 それに対して、医療システムはどうでしょう。病院をつくる時に、不動産をどこでどのように確保するのかというのは、とても大事なことです。それから、経営というのは非常に難しいので、銀行からお金を借りるなど金融業のお世話になることもあるでしょう。そして、情報を集め分析する際にはコンピュータなどの電子機器を活用しています。そのように、医療システムというと、あらゆる産業が絡んでくることになります。

 もう一つの特徴として、医療システムのような社会システムは、ダイナミック(動的)システムです。私は元々建築家なのですが、例えば建築。建物はシステムなのです。でも、明日ここに来られても、何も変わっていないと思います。なぜならスタティック(静的)なシステムだからです。

 ところが、社会システムは、やはりじわじわと時間とともに変わっていっています。なぜかというと、人間という変化していくものが動かしているからです。人間は、習熟するとともに飽き、競争の出現と共に、これまでの動きが変わります。だから、社会システムは、ダイナミックシステムです。建築のようなスタティックなシステムをデザインするよりも、よほど難しいと私は考えています。

 そのシステム・デザインの方法というものを考えて、私は「社会システムはデザインできるのだ」ということを、1992年に言い始めたわけです。その時に、私の1番身近なものからスタートしようと思いました。住宅というのは、システムではあるのですが、スタティックシステムです。つくったら変わりません。ところが、住宅供給システムというのは、時代とともに変わっていきます。そのようなものは社会システムです。「住宅」は建築システム、「住宅供給システム」は社会システムなのです。私はその社会システムのデザインの方法というものを考えて、その後、その手法がどの程度普遍性があるかを確かめるため、いろいろなシステムをデザインしてきました。

日本の医療におけるシステム・デザインの必要性

横山氏 社会システムをデザインするにあたり、1番難しいと思ったのは、金融システムです。なぜかというと、あまりに幅広いからです。その分野や関わる地域も広く、法律の絡みもあり、これは一個人のデザイン力では手に負えないと感じました。それに比べるとデザインできそうな社会システムだと考えたのは、医療システムです。たまたま医療関係者に声を掛けられ、医療の変化の時代を乗り越えるための医療システム・デザインの勉強会を、もう二十何年行っています。

 今はきれいなビルになっていますが、元々は、東大医科研のゲノム解析センターのぼろぼろのビルの中の1部屋、会議室を借りてやっていました。社会システムとして医療システムを考えるという観点から、官僚や医者、弁護士、そして金融の関係者など、いろいろな人に参加してもらっています。その勉強会を通じ、やはり時代の変化に対する対応として、社会システム・デザインという観点から攻めていくのが、非常にいいのではないのかと感じています。

 かつて、日本の医療システムは世界に冠たる医療システムといわれたし、今もそれに近いと思います。ところが、昔とは基本的な前提条件が大きく変わっています。今の医療システム、国民皆保険の医療システムが実際に施行されたのは、1962年です。その時に1番みんなが恐れた病気は何であったか、ご存じでしょうか。それは肺結核です。肺結核は治らないといわれ、サナトリウムに行って、栄養をつけるしかありませんでした。そのせいで若い時代を無為に過ごして、亡くなる方も大勢いました。亡くなった方の中には、有名な作家の方々もいて、やはり1番私が強く印象に残っているのは、正岡子規です。彼は脊椎カリエスでした。

 しかし、その時代も終わりを迎えました。なぜかというと、第二次世界大戦中に発見された抗生物質の1つ、ストレプトマイシンを打つと、肺結核が治るようになったからです。そのような時代に、今の医療システムはデザインされているわけです。そして1970年になると、九州大学医学部心療内科というのができ、「心身症」というものが病気として扱われるようになりました。病気になっているが、原因が分からない。そうして調べていくうちに、「心が病むと体も病む」という事実にようやく気が付いたというわけです。日本の今の医療システムが施工されて、ほんの10年後のことです。

 それから、10年か15年後に「成人病」というものが出てきました。従来、日本に糖尿病というのはあまりいないとされていましたが、糖尿病が日本に少ないというのは大間違いであり、当時600万人といわれていたのが、実際には2000万人を超えることがわかったたわけです。こうして糖尿病というものが発見された。ただ、糖尿病を「成人病」というのはおかしい。生活習慣に起因する病気なので、「生活習慣病」です。がん、高血圧、心臓病、糖尿病、全てが生活習慣に起因するのでなく、遺伝性のものもかなりありますが、基本的には何かの菌の感染ではないわけです。そう考えると「慢性病」という概念に至ります。

 かつては、急性疾患が中心でした。ストレプトマイシンを打てば、肺病でも完治したわけです。ところが、今の時代は完治ということはありません。がんで完治したというのは、ないわけではないです。0期や1期に対応できたものは、完治に近いです。でも、0期や1期にがんを見つけるのは非常に難しいのです。ちなみに番難しいのは、膵臓(すいぞう)がんです。だから、膵臓(すいぞう)がんで亡くなる方々を抑えることは、まだできていません。つまり、完治ではなく、よくて寛解しかないということです。

 寛解というのは、英語で「Remission」といいます。休息期があって、またぶり返すかもしれません。ということは、「あなた、完治しましたよ。もう病院に来なくていいですよ」ということはないわけです。ずっとモニターし、再発したら、また手術をしなければなりません。がんの場合は、転移すると、より難しい手術になってしまいます。そうならないようにモニターしながら対応していく。それはまさに、システム的な課題ではないでしょうか。

 お医者さんは、二十何万人もおられます。だから、性格の良いお医者さんや性格の悪いお医者さん、そしてやる気のあるお医者さんや、やる気のないお医者さんもいるかもしれません。でも、薬の投与で治る病気というのは、お医者さんのやる気に関わらず、投薬すれば治るわけです。ところが、今の病気はそうはいきません。お医者さんの判断力がとても重要になっています。

「医療の高度化によって機器もよくなっているから、早期発見できるのではないか」という意見もあるでしょう。確かにそういう部分もあります。例えば、MRIである像が出てきたとします。それを読むというのは、かなりの経験が要ります。何かの病気が治りかかっているのと、新しいがんができているのとでは、映像だけでは同じに見えることがありますから、正確には分かりません。だから、先生の能力がとても重要になってくるのです。

 あまりいい例ではないかもしれませんが、1つの例を紹介します。ある女性が、ある種の子宮がんになりました。発見がとても早く、運もよくて、手術も成功しました。当然、彼女は先生に「完治です」とは言われません。「早く見つかって、うまくがんは全部取れました」と言われた女性は、「先生、私はこの後、どのような生活をすればいいのですか」と聞きます。すると、真面目なその先生は「私は女性でないから、よく分かりません」と答えました。この回答は正しいのです。間違いなく先生はうそを言っていないわけです。

 しかし、これは今の慢性病対応のシステムとしては、欠陥がある対応です。そう答えるくらいであれば、そのようなことが分かっている、たとえば、女性のお医者さんに紹介するまで面倒を見るというのが、あるべきシステム的な対応です。あるいは、同じ病気を経験した患者さんのグループから、患者さんの意見を聞くということもできます。今のところは、ぜんそくが中心だと思いますが、世の中には、「熟練患者」というのを認定しているNPOがあるわけです。だから、これからの慢性病というのは、お医者さんだけの対応ではないのです。いろいろな人が関わらなければならない。熟練患者も関わったほうがいいかもしれません。

 それから、病気を経験すると心が病むわけです。また再発しているのではないのか、いつも検査をしながら、どきどきしているわけです。結局、再発するかもしれません。そのような時の心の動きに付き添ってくれる訓練を受けた人は、どこにいるでしょうか。理学療法士などは、フィジカルなことはやってくれますけれども、心の痛みに対応してくれるというのはあまりないように思います。また、お医者さんが心のケアが大得意であるはずはないわけです。

 そうすると寛解した後もずっと対応するシステムが必要です。その手術をしてくれたお医者さんのほうが早く死んでしまうかもしれないので、そうなった場合でも、寛解した患者をケアするチームは残り、情報を共有することでシステムがそのような状況に対応してくれる。そのようなシステムが、今、デザインできているでしょうか。そのような背景を踏まえると、あるべき医療システムのデザインとしては、1960年代と今とでは、かなり違うということです。

システム・デザインはあらゆる分野で求められる

横山氏 世の中は、非常によくできています。マイクロプロセッサーの発明は、何年のことか覚えていますでしょうか。1970年年代の初頭です。マイクロプロセッサーというのは「Computer on the palm」、「手のひらに載るコンピューター」といわれたわけです。なぜそのようなものが必要なのでしょう。

 当時、固定相場制から変動相場制に変わりました。ということは、金利が固定されていないわけで、為替も金利もどんどん変わっていったわけです。それによって得られる利益も常に変わります。それを手計算でやっていたら、間尺に合いません。ところが、その時、便利なマイクロプロセッサーというものが発明されて、瞬時の計算が可能になったわけです。マイクロプロセッサーの発明があったから変動金利ができたのか、変動金利になったからマイクロプロセッサーが必要になって発明されたのかというような、「どちらが原因で、どちらが結果か分からない」というものは、世の中に大量にあります。今、その例として何があるかというと、「デジタル化」です。

 医療分野にもデジタルテクノロジーが、あらゆる形で入ってきています。そのおかげで、検査のスピードが急速に上がりました。かつては、血液検査の際、オーバーナイトでサービスをする検査会社は「速いね」と言われました。でも今は、病院の中だけで検査ができて、1時間ほどでデータが出てくるわけです。それで、すぐに判断できる。それは、デジタル化された機器のスピードのおかげです。

 しかも、デジタル化されているデータから、それほどお金をかけることなく、映像を送ることもできます。デジタルデータだから、MRIだろうと、CTだろうと、エコーだろうと、画像で出てきます。元々、それらは画像ではありませんでした。かつて、イギリスのEMIが発売した最初のCTが、ボストンにあるマサチューセッツ・ジェネラルホスピタルという最先端の病院に1台入ったというので、好奇心の塊の私はすぐ見せてもらいに行きました。見せてもらうと、アウトプット、すなわち、打ち出していくのは数字で、どこにも画像のようなイメージがなく、それを読める人はほとんどいないというものでした。

 今はデータを画像に変換して、輪切りになった体が、出てくるようになりました。あれは、デジタルテクノロジーを使って画像化しているのです。そのような意味で、今の慢性病に対するいろいろな対応には、デジタルテクノロジーが使われています。このタイミングが、とてもいいわけです。デジタルテクノロジーがあるからこれができたのか、このような要求がある中でデジタルテクノロジーがたまたま運よく出てきたのか、どちらが先かはよく分かりません。普通はやりとりの中で出来上がっていくものであって、ニワトリが先か、卵が先かという関係ではないと思うのですが、そのような展開となっています。

 今、日本に「インフォームドコンセント(十分な説明と同意)」や、「セカンドオピニオン」という概念がありますよね。それらは全部英語ですから、全てアメリカから入ってきた考え方です。薬の投与だけでは完治しない慢性病の時代では特に重要になってきたわけです。では、アメリカの場合は、インフォームドコンセントやセカンドオピニオンのためにどうしているか。お医者さんは患者に対してきちんとした説明ができないといけませんから、そのようなコミュニケ―ションを訓練するコースが医療教育の中に入っています。日本の文科省はそれを分かっていませんでしたから、最近まで日本の医療教育の中にはそれらは入っていませんでした。だから、そのようなコミュニケーションパッケージとして入れなければならないものを、インフォームドコンセントとかセカンドオピニオンというようにパーツだけ入れてしまうわけです。なぜかというと、患者が理解し納得するのが目的であるシステムというものの概念の理解が足りないからです。

 インフォームドコンセントで、お医者さんから「あなたのがんは、少し難しい場所にあるので、成功確率は70%ぐらいです」という言い方をされたら、あなたはどう思いますか。「私は、30%生きて、70%死んでいるということはできませんよ。私には、生きているか、死んでいるかしかありません」と言いたいはずです。もしその時に「成功確率は7割ですが、ご安心ください。当病院でやった手術は、100%うまくいきました」と言われたら、安心するのではないでしょうか。でも、そこまで言わないのです。お医者さんの能力も、いろいろなものが要求されるようになっているわけです。それができてこそ、システムが成り立つのです。

 そのようなシステム化というのは、アメリカは日本より進んでいます。ある日本人女性がアメリカで旅行中、病気になって、緊急入院しました。言葉も通じないし、不安です。すると、執刀医からその日の夜に電話がかかってきて、通訳を通じて、「あなたの手術は5時間かかると言われてびっくりしたと思うけれど、単に手間がかかるだけで命には関係ないから心配しないように」と言われたということです。このような患者の心の問題を扱うシステムは日本には未だ、十分ありません。

 そのようなことで、システム・デザインというものは、「消費者への価値提供システム」であり本気でやれば、今言ったような人への対応の訓練も含めて、たくさんやることがあります。今日は時間の関係で医療システムだけを話しましたけれども、あらゆる分野はシステムであり、システム・デザインが必要であるということです。

 以上、社会システム・デザインのお話をしました。時間が足りないので、全部話すわけにいきませんでしたが、ここまで聞いていただいて、大変ありがとうございました。