* 本コンテンツは以下講演の【講演動画】と【全文採録記事】で構成しています *
第3回 戦略人事フォーラム
基調講演「人的資本経営の展開〜Convivial Companyを目指して」

開催日:2023年3月14日(火)
主催:JBpress/Japan Innovation Review

 近年では、人的資本経営やジョブ型人事、ウェルビーイングなど、組織が目指すあり方としてさまざまな言葉が語られています。こうした中、人的資本経営とは何であるかを問い直し、企業が目指すべき姿として「Convivial Company」の概念を提唱するのが、明治大学専門職大学院 グローバル・ビジネス研究科教授の野田稔氏です。

 講演の冒頭にて野田氏は、「人事は経営課題を実現するためにある」という人的資本経営の基本的な考え方を確認した上で、その実現のためには従来の「人を管理する」という考え方から「人に最大限に活躍してもらうようにする」という考え方への、大きなパラダイムチェンジが求められると語ります。

 さらに野田氏は、現在の企業の最重要課題は「新たな価値の創造=イノベーション」であるとした上で、イノベーションに総力をあげられていない企業が多いと指摘。従来「技術革新」と捉えられてきたイノベーションへの誤解に触れ、独自の解釈を披露します。

 このようなイノベーションが必要とされる現在では、リーダーに求められるあり方も変化しています。野田氏は、現代社会はただ1人のリーダーが全てを認識・決断することは困難であるほどに複雑化していると評した上で、リーダーの意思決定にあたっては、ある仕組みをつくることがリーダーの役割であると語ります。

 そして、全社員が主体性をもって能力を発揮し、価値創造に取り組むことができる組織として野田氏が提唱するのが、Convivial Companyというあり方です。Convivialとは「隷属」の状態の対義語である「自立共生」を意味しています。人的資本経営の目指すべき姿を体現する、Convivial Companyとは、一体どのようなものなのでしょうか。

 新たな価値を生み出す人的資本経営、そしてその実現に向けた野田氏の見解は、これからの時代を生き抜く企業経営者に多くの示唆を与える内容です。

【TOPICS】

  • 「人と組織」をめぐる近年の動向(人的資本経営、ジョブ型人事、ウェルビーイング、DAO、Ubuntu、Convivial Company)
  • 「人的資源を管理する」人事から、「人的資本を価値創造のために活用する」人事へ
  • 日本企業の最重要課題である「新たな価値の創造」=イノベーション
  • 「イノベーション」をめぐる勘違いとは
  • これからの時代に求められるリーダーの意思決定は「衆議・独裁」
  • 人的資本経営の先にある“Convivial Company”
  • KX(カイシャ・トランスフォーメーション)で得られた考察
  • 社員が主役の価値創造型の経営へ



動画挿入位置

人と組織で大きな流れが起きている

野田稔氏(以下、野田氏) 皆さんこんにちは。ただいまご紹介に与かりました明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科の野田です。本日は「人的資本経営の展開〜Convivial Companyを目指して」と題してお話しします。Convivial Companyはおそらく聞いたことがない言葉だと思いますが、これは最後にご説明したいと思います。

 昨今「人と組織」に関して、世の中でいろいろなことが語られるようになってきました。表題に挙げた人的資本経営というのは、経営者の方たちをはじめ皆さんが口の端に乗せるようになりました。また昨今、「ジョブ型人事」もずいぶんとちまたを賑(にぎ)わせているようです。これはアメリカなどで行われているジョブディスクリプションを明確にしてガチガチに管理する人事と比べて、どちらかというと日本風です。仕事は明確にするが、個人がどういう仕事に就くかを中心に考える、流動性を高めたジョブ型人事を志向する会社も出てきました。

 また、これも聞かない日はないというほどの言葉が「ウェルビーイング」です。図の中にある「PERMA(パーマ)」とは、ポジティブ心理学のマーティン・セリグマン先生が言ったウェルビーイングのための要素ですが、「社員のウェルビーイングを追求することこそが競争力の強化につながる」という話がよく出てくるようになりました。

 さらに進んだものでは「ティール組織(Teal Organization)」があります。これはそれぞれの関係がフラットで、みんなが自分の頭で考えるような組織のことです。さらにネットでは「DAO(Decentralized Autonomous Organization:分散型自立組織)」という言葉が見られるようになってきました。私の主張している「Convivial Company」は自立共生型の組織という意味なのですが、ベースとなったアフリカの考え方「Ubuntu(ウブントゥ)」は「みんながいるから自分がいる」という意味があり、社会的な規範のことをいいます。

 おそらく人と組織でも、ある種の大きな流れが起きていると思うのです。人的資本経営とは何かというと、第一義的には「経営課題を実現するために人事がある」ことです。このことをもう1回きちんと認識しましょう。だから今回のフォーラムの一番大きなテーマである「戦略人事」の流れに乗っているのです。実際に環境変化としてあるグローバル化やデジタル化、さらに人口構成の変化などを経営に取り入れ、対応していくことが必要です。そのために人材戦略も柔軟にアジャイルに対応していかなくてはなりません。

 それは従来の「人を管理する」という考え方から、「人に最大限に活躍してもらえるようにする」という大きなパラダイムチェンジを求めることになるのです。まさに「人的資源を管理する」ことから、「人的資本を価値創造のために活用する」ことへの切り替えです。人事ではなく人材戦略であり、人事部が管理するのではなく経営陣もコミットするという取り組みです。これについては少し異論があるので後ほどお話します。

 内向きではなく積極的な対話を求める。相互依存ではなくて個の自立と活性化。おそらくこれが一番重要です。さらに言うと、会社は囲い込むのではなく社員から選ばれる存在であるべきだという考え方になります。まさしく一人一人をしっかりと見つめて、一人一人の活躍を最大限に引き出すような仕組みを作っていくことが、人的資本の最大の問題になるのです。

「新たな価値を創造する」ことが重要

野田氏 それでは一体どのような方向で、われわれは人材に活躍してもらう必要があるのか。われわれが今解決しなくてはならない最重要大課題は何なのか、について考えてみたいと思います。今更言うまでもないことだと思いますが、それは「新たな価値を創造する」ということに尽きるのではないでしょうか。

 日本の企業は戦後長らく成長を続け、ある意味では世界で最も成功した経済圏を作ったといっていいかも知れません。われわれは大成功してきたのです。しかし1990年代をピークにじわじわと、もはや30年以上にわたって停滞しています。下手すると衰退と言っていいかもしれない。成功への過剰適応、「イノベーターズジレンマ」という言葉もありますが、まさにそれにはまってしまったと言ってもいいかも知れません。

 既存の事業があまりにもうまくいったので、どうしてもそれを捨てて新たな事業に踏み出すことができない。もしくは一歩踏み出したとしても、どうしても及び腰になってしまうことが現実に起こっています。多くの会社はビジネスモデルがすでに賞味期限切れで、経年劣化によりそれ以上の成長どころか、収益性すら危ぶまれるような状態になってきています。その中で、新たなビジネスモデルを創造することが、絶対条件になってきている。これはもう成長どころか、まずは生き残るための絶対条件になってきていると思っています。

 まさに「その手があったか。まさかこんなことができるとは。積年の悩みが解決した。ありがとう」と、新たに世界のお客さまから言ってもらえるようなビジネスを、作っていかなくてはならないということです。使い古された言葉で言えば「イノベーションが本当の意味で経営の一丁目一番地に来ている」ということだと私は思っています。

 しかし残念なことに、一丁目一番地のイノベーションに総力を挙げて取り組む会社があるかというと、そうとはいえない例の方が多い気がします。日々の既存事業にきゅうきゅうとしていて、「余力があったら新しいことをやろう」などと言ってはいますが、余力なんてできるわけがないので絶対にやらない。こんなことが起こってしまっていると思います。

イノベーションにおける勘違い

野田氏 さらにイノベーションと言った時に勘違いされる方が多く、これがまた問題を起こしている気がします。通商産業省から経済産業省までの長い産業行政の歴史の中で、彼らが出す書類にずっと書かれていたのが「イノベーション(技術革新)」という言葉だったのです。日本人はお上の言うことに従順なので「イノベーションとは技術革新のことだ」とずっと思っていたのです。

 付き合いがある販売会社の社長さんにイノベーションの話をしたら「野田くん。それは正しいことを言っているけど、うちの会社は文系の会社だからイノベーションは関係ないんだよ」と言われました。「会社に文系と理系がある」とそこで初めて知りました。イノベーションは理系の人がやることだと考えているというわけです。

 それはまさしく「技術革新というものが、イノベーションの本体である」と刷り込まれてしまったからです。しかし現実はそうではありません。イノベーションとは、オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが言うように「新結合」です。新しいものと古いもの、もしくは新しいもの同士、または古いもの同士と、どのようなものでもいいから新たに組み合わせて社会的な価値を生めば、それは全てイノベーションだということです。むしろ新たな価値を生むことを、社会課題の解決であると捉えた方がいいのです。

 イノベーションは決して目的ではありません。なんとか目の前の「不」を解決しようともがいていたら、結果としてイノベーションが起きたということの方が多いのです。すなわちイノベーションを起こしたいなら、むしろ「解決すべき良質な不=社会的な課題」を発見するのが近道なのです。

 これを発見するためには、当然のことながら不を発見する目は多い方がいいに決まっています。だから「イノベーションは全社活動である」という話になるのです。社員一人一人が自分で問題意識を持ち、解決すべき社会的課題は何か、自分たちの会社で解決できる不はどこにあるかを考える。そしてそれをいろいろなものを組み合わせながら、なんとか解決しようと努力するプロセスでイノベーションが起こるのです。

 だからイノベーションは研究室などだけで起こるのではなく、現場で起こるのです。昔刑事ドラマで湾岸署の青島くんが「事件は会議室で起こっているのではない」と怒鳴りましたが、全くその通りです。イノベーションも会議室では起きません。イノベーションは現場で起こる。社員一人一人がイノベーションの担い手になり、価値創造の担い手になる。イノベーションはこのように考えないと本当の意味でできないのです。

これからのリーダーの意思決定スタイルとは

野田氏 それではその時にリーダーは何をするのかというと、これは昔と同じです。ありたい姿を示して、いかにたどり着くかを示すのですが、いかがでしょうか。これだけ複雑で変化が早く、不確実性も高い世の中において、全てを分かってありたい姿をパンと示すことができるリーダーはどれほどいるでしょうか。

 私は現在の社会は、たった1人のリーダーの認知限界を超えてしまっているほど複雑だと思っています。すなわちイノベーションも社員一人一人が考える時代ではありますが、実はリーダーのありたい姿を決めることにおいても、私は社員の参与が欠かせないのではと思っています。

 これからのリーダーの意思決定スタイルは、私は「衆議・独裁」であると思います。衆議というのは、徹底的に話を聞いて徹底的に議論をするということ。しかし民主的に決めるのではありません。最後はリーダーが責任を持って独裁する。しかしその前段として一人一人の考えを、徹底的に聞く必要があるということです。まさにリーダーシップにおいても、リーダーの経験だけでは乗り切れない時代です。共に考える時代であり、まさに全社員の全能力を結集して総力戦で解を探索する。そんな時代になってきたということなのです。

 ここもやはり社員が主役です。だから社員には自主・自立で、心理的安全性のある風土で成熟した大人として、自分の頭で考えることが強く求められる。そして経営トップは自分の頭で考える社員が気持ちよく自主性を発揮し、クリエイティビティを発揮できるような仕組みを作るところに注力することが、一番重要なことだと思います。

 昔のように「お前らは考えるな。ガタガタ言うな。俺に付いて来い」というスタイルでは、とてもこの複雑な世の中を乗り切ることはできない。たった一部の人だけがイノベーションを起こせばいいということでは、イノベーションなんか起きやしない、というのが今という時代ではないかと思います。

 全社員が全能力を発揮して、次々に新たな価値を創造し続ける仕組みを構築すること、そしてこれこそが人的資本経営を行うことであると認識していただきたいと思っています。人的資本経営というのは全社員が全能力を発揮して、新たな価値創造をするために行われるものなのです。

 従来型のいわゆるトップダウンは、上が全部決めたコマンド・アンド・コントロールで部下は素直に従えばいい、ルーティーンはこうやればそれで価値が生まれるといった、言ってみれば「組織」が主語、「トップ」が主語という社会でした。ここから、クリエーティブワークが中心の、成熟し自立した部下が自ら新たな価値を生んでいくような組織に変わるということです。

 ただ変わるといっても、従来型のものが全部なくなるわけではありません。これはおそらく1つの会社の中に共存する必要がある。イノベーションのエコシステムを構築する手伝いをしているJapan Innovation Networkなどでは、まさにこうした効率性と創造性の両方を追求する経営を「二階建て経営」という言い方をしています。こういった全体の仕組みをマネジメントすることこそが、私は人的資本経営の目指すべきところではないかと思っています。

Convivial Companyの本質

野田氏 さらにこの人的資本経営を先に進めた言葉として、私は「Convivial Company」ということを主張しています。convivialは英語の形容詞で「パーティーが愉快で楽しい。宴会好きな、または社交家な。雰囲気全体が感じよくて居心地がいい」といった意味です。ただし社会学ではconvivialという言葉を「自立共生」と訳することが多いのです。もともとの語源はラテン語のconvivereに由来していて、Conは「共に」、Vivereは「生きる」を意味します。まさに共に生きる、Live Togetherというのがこのconvivialという言葉のもともとの意味です。みんなが居心地よく楽しく共に生きられるような会社において、生き生きと価値創造する。そんな会社のことを私はConvivial Companyと称しています。

 このconvivialという言葉は、実はある状態の対義語として使われています。「隷属」という状態からの解放です。社会哲学者イヴァン・イリイチ氏がもともとこのconvivialという言葉を社会学の中で作り始めました。彼は「社会というのは人々のために、人々がより楽しく生きるために作られるものだ。しかしその作られた社会は、人々を隷属させる傾向がある。だから1回できた社会から、もう1回人々を解き放たなくてはいけない」と考えたのです。

 テクノロジーもまた同じだと、デザインエンジニアの緒方壽人氏は話します。彼はまさに「高度に成熟した社会や技術は人々を隷属させ、封じ込める傾向がある。その能力発揮を下手すると奪ってしまうことがある」と言います。小さな例でいうとエスカレーターやエレベーターがあると、どうしても足を使わないで乗ってしまいますよね。そうするとせっかく階段を上る能力があるのに、使われないで終わってしまうということになります。彼はまさに人は道具を使っているようで、実は道具に隷属しているという話をしているのです。

 私はそれを会社組織に広げてみました。組織と人との関係も同様ではないかと思うのです。本来、人の能力を最大限発揮させ、協働のための道具であるはずの組織が、人を隷属させてその全能力の発揮を妨げているという状態が今ではないだろうか、ということです。私は「組織のためのメンバー」ではなく、「メンバーのための組織」に回帰することが必要だと感じました。そして人的資本経営の先にあるものは、まさにその組織に隷属している人間の能力を最大限に解放することではないだろうか。組織と人との新たな程よい共生環境を作ることこそが、人的資本経営の目指すべきところなのではないかと思ったのです。

会社トランスフォーメーション「KX」の運動で見えてきたこと

野田氏 私は今ライフシフト・ジャパンという会社と一緒に、KX(カイシャ・トランスフォーメーション)という運動をしています。2022年の8月に、ある調査をしました。われわれの考える解放された、組織に隷属していない人間の状態をここ数年研究していて、全部で5つの状態が「組織に隷属していない状態」としてあるということが分かったのです。

 例えば「想いドリブン」にもある要素で、①自分の思いをきちんと組織に反映させることができる、②いろいろな人とのつながりを自由に作ることができる、③自分のキャリアを積む上で語り合える心理的に安全な仲間がいる、④自分のわがままや自分のありたい姿を臆病にならずに言えること、⑤変化し続ける力を持つこと。このような5つのコンセプトが組織に隷属していない人間の状態である、ということを私たちは発見しました。そしてどのくらい組織に隷属していないのか、言うなれば、「どのくらい会社と社員との関係が“未来的か(先進的か)”」を調べてみたのです。

 それを一つの指標にまとめました。会社との関係の未来度を示す指標を「KXスコア」と言うのですが、KXスコアと仕事の満足度の関係を見てみると、恐ろしいことに、KXスコアの低い方はかなり仕事に不満を持っている。ところがKXスコアの高い方は、明らかに仕事に対する満足度が高い。要するにエンゲージしているのです。一点の曇りもなく相関してしまったのです。私は前職の野村総合研究所時代から、40年ほどこのような調査を続けてきていますが、これだけビシッと相関したのは初めてです。

 しかも仕事満足度という指標は先ほどの5つの指標の中にはないものですから、ある意味で「白いから白い」というような話はないということなのです。非常に面白い結果が出ました。仕事満足度だけではありません。成長実感との関係を見ても、KXスコアとビシッと相関してくるのです。今多くの会社で「社員の成長がすごく大事だ。まさに人的資本経営の資本を増やすためには、社員を成長させなくてはいけない」と言っていますが、その成長実感がこのKXスコアとものの見事に相関することが分かってしまったのです。

 仕事だけではなく、会社の一員であることに満足しているかを測る会社満足度についても、明らかに相関が見られました。これだけ自立していて会社に隷属していないということは、会社を辞めてしまうのではないかと思われるかも知れませんが、全く逆です。「満足度が高いから、毎日この会社にいることを選び続けている」という状態なのです。他に行くところがなく、自信がないから仕方なくへばりついているのではないのです。

KXスコアは同じ職場の中にいてもばらついている

野田氏 実際にフリーアンサー(自由記述回答)にも聞いてみました。例えばKXスコアがマイナス100点からマイナス50点くらいの低い方たちは、どんなふうに今の働き方や会社との関係を見ているかというと「流されるままに働いている」、「かなり無理をして仕事をしなければならない」、「改めて新卒の時に会社選択を誤ったと感じた」と回答しました。それなら他に行けよと思いますね。このほか「早く転職してこの会社から離れたい」、「会社の理不尽さにうんざりしている」といった声もありました。

 このような気持ちで働いている人たちが果たして生産性を高くして働けているだろうか、または新たな価値を生むように生き生きと動いているだろうか。そうであるはずがありません。

 一方でKXスコアがプラス51からプラス100までの高い人たちはどのようなことを言っているのかを紹介します。彼らは「理想的な環境にいる」と言います。1回は言ってみたいですね。そのほか「比較的自由に仕事をさせていただいている」、「とても社員を大切にしていて本当に素晴らしい」、「自分の勤めている会社に誇りがある」、「協力体制があり将来ビジョンのあるいい会社だ」と話しています。

 まさしく多くの会社が上げようと一生懸命努力しているエンゲージメントが高い状態なのです。一人一人が自分らしく、一人一人が自立して自分の頭で考える。そういう状態を作ると、実はエンゲージメントスコアが高くなり、間違いなく価値創造に向き合うことが想定されます。

 研究としては緒についたばかりで、具体的な生産性との相関や本当に創造性が生まれているのかということについては、まだ調査をしていません。ただ分かってきたことは、大変面白いことにこのKXスコアは、同じ職場にいてもばらつきがあるのです。同じ職場にいるわけですから同じ環境、同じ制度の中にいるのですが、それでもばらつく。何が言えるかというと、明らかにエンゲージメントやKXスコアはパーソナルなものだ、ということです。マスで捉えて何とかなるようなものではない。一人一人に向き合って、一人一人と語っていかないといけないのだということが分かりました。

 しかしながら日本におけるKXスコアの現在地点はなんとマイナス15.9というかなり低い状態です。このような状態の日本企業から新たな価値がバリバリ生まれてこないのは、当たり前のことかもしれないと考えています。

「会社を主語にする経営」から脱却

野田氏 私は人的資本経営を進めていくと、どこかの段階で「会社を主語にする経営」から脱却しなくてはいけないのではないかと思っています。あくまでも会社という共同幻想 のようなものに縛られている状態ではなく、一人一人の社員が主役で、その一人一人の思いが共有され、共通している。それが会社のビジョンやパーパスになり、そこと自分が一致している状態だからこの会社に居続ける。まさにこういう状態にしないと、本当の意味での価値創造型の経営はできないのではないかと考えています。

 ただこの状態にするには、ハードルが高いことは明らかです。例えば社員を主語にすると、役員は何をするのだろう、社長は何をするのだろうという問題が出てくるのです。今の段階では社長や役員という人たちは、その会社のみんなで共有している価値の体現者、というのが一番いい役割ではないかと思っています。その会社の価値の体現者という意味でのソートリーダー、要するに第一人者という役割が1番いいのではと思っています。

 その会社のみんなが「顧客を大切にする」という思いで集まっているとすれば、1番顧客のことを考えているのが社長であるということではないだろうかと思っています。そしてみんなの話を聞いた上で、自分の思いも込めて「おいみんな。やっぱりこっちに行こうぜ」というふうにありたい姿と方向を示すのが、経営者の役割ではないかと思います。そしてそれは明らかに、社員の総意として生まれてくるものだということです。

社員が選びとる方向性

野田氏 こんなことを言うと「そんなことやっている会社なんかないでしょう」と言われるかも知れませんが、実行している会社はあります。少なくともそちらの方向を見ている会社は、いくらでもあります。

 例えばIBMは「Value Jam : バリュージャム」というものをやりました。社内のSNS上で「IBMの今後ってどうあったらいいんだろうか」ということを、全社員参加型でチャットしたのです。これを72時間連続で行ったのですが、最初のうちは愚痴ばかりが出たそうです。「このままいくとクーデターが起こるのではないか」と思われるほどあまりにも愚痴がひどく、役員の中には「すぐにこのサイトは閉鎖だ」と言った人がいたのですが、社長は「いやダメだ。このまま続ける」と言った。そのうちにだんだんポジティブな意見が出てきて、最後「俺たちはこれでいこうぜ」というふうにまとまっていったのだそうです。

 後ほどテキストマイニングをして、一体何が語られたかを調べたところ、驚くべきことに、IBMの創業者ワトソン・シニアが言っている価値観とほとんど同じものが最後に残ったのだそうです。まさにこれは社員が選びとった、新たな価値観であり、そして昔からある方向性でもあったわけです。

 私はIBMがやはり社員を主語にしなくてはいけないということをここで分かり、またそれを推し進めようとしているのではないかと思っています。IBMだけではありません。他にもこういう会社はいくらでも出てくると思います。まさに社員を主語にする経営にして、そこで社員自らが価値をつくるような方向に持っていく。その第一歩が人的資本経営になるのではないかと思っています。

 ここからいろいろな方が、いろいろな思いを述べると思います。しかし大きな方向はやはり、こうした方向ではないだろうか。一人一人が主体性を持って価値を生んでいく。そんな会社、そして社会にしていきたい。そういった方向に集約するのではないかと今から期待しています。ぜひ他の方々のお話もゆっくり聞いていただいて、皆さん自身の思いを固めていただければと思います。ありがとうございました。