
「イノベーション」がどのようなものであるべきかについて、これまで多くの有識者によって定義されてきた。早稲田大学ビジネスクールの元教授、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の元日本代表の経歴を持つ内田和成氏は、イノベーションの本質は、「顧客の態度変容と行動変容にある」と主張する。そんな同氏が、Skypeはなぜ後発のZoomに敗れ、Red Bullはこれほどに成功したのかを分析し、イノベーションを成功させる鍵のありかについて解説する。
※本コンテンツは、2022年5月26日(木)に開催されたJBpress/JDIR主催「第2回経営企画イノベーション」の基調講演「イノベーションの本質」の内容を採録したものです。
Zoomの急速な普及にみるイノベーションの本質
「イノベーション」という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。「業界初」「世界に先駆けた新しい技術やモノ」といったことを想像する人は多いだろう。しかし、『イノベーションの競争戦略』(東洋経済新報社)の著者である内田和成氏は、「イノベーションの本質は先進性にはなく、顧客の行動が変わり、その結果、社会が変わるところにある」と主張する。
同氏の定義するイノベーションの本質は、コロナ禍において急激に普及した「Zoom」を例にとると理解しやすい。
現在、インターネットを利用したオンライン会議は日常と化し、多くの企業がWeb会議システムとしてZoomを使用している。しかし、Zoomは同システムの先駆者というわけではなく、コロナ禍以前は「Skype」や「Microsoft Teams」「Webex」などが多く使用されていた。それらに取って変わる形で、なぜZoomがこれだけの人気を博しているのか。
「結論からいえば、Zoomのいちばんの成功要因は使用するためのハードルが極めて低かったという点でしょう。従来のWeb会議システムは、あらかじめソフトウエアをインストールしたり、IDを登録したりする必要がありました。その事前準備はWeb会議に取り組んだことがない人にとっては、敷居が高かったのです。それに対してZoomは、主催者こそID登録は必要ですが、他の参加者はURLをクリックするだけで会議に参加できます」
ビギナーユーザーが使いやすい仕組みをいち早く構築したのが、Zoomだったのだ。
「Zoomがコロナ禍であっという間に普及した理由を考えれば、機能がいちばん優れているものや、どこよりも早く導入されたものがイノベーションの起点になるわけではないことが分かるはずです。ユーザーが実際に使用し、『これは便利だ。私でも使える』と感じることが、行動変容につながります。つまり、どのようにユーザーに行動変容を起こさせるのかという点が、イノベーションにおいて非常に重要なポイントになります」
「社会構造の変化」や「心理変化」がもたらすイノベーション
内田氏は「イノベーションのトライアングル」というフレームワークを考案している。トライアングルのいちばん頂点には「技術革新(テクノロジー)」、左下に「社会構造」、右下に「心理変化」というキーワードが置かれている。
多くの人は「イノベーション=技術のイノベーションである」と考えがちだという。しかし、同氏が研究会にて1000件近くの事例を調べたところ、「技術は必須ではなく、技術以外の要素でイノベーションが進むことも多い」という事実が判明した。AI、ビッグデータ、遺伝子解析、ドローンといった「技術革新」が世の中を変えることは間違いないと認める一方で、それが全てではないと内田氏は考える。
技術以外の要素として、内田氏は「社会構造」を挙げる。かつて日本の標準世帯の構造は「父・母・子供2人程度」だった。しかし、今やそのような4人世帯の家族は全体の13%程度しか存在しないと内田氏は指摘する。最も多い1人世帯が約40%、次いで2人世帯が約20%を占めているという。そのような社会構造の変化があるにもかかわらず、「世の中のメーカーや流通は、相変わらず昔の家族構成を前提にものをつくったり、売ったりしている」と疑問を呈する。
「例えば、スーパーマーケットの売り場の構成はどの店舗もほぼ同じつくりです。これは、家族のための食材を買いそろえるために合理的なレイアウトになっているからです。一方、そのために一人暮らしの人間にとっては、必要なものがすぐに見つからない『面倒な』レイアウトになってしまっています。その結果、価格は少し高くとも欲しいものがすぐに手に入るコンビニを選ぶわけです。この観点で見ると、コンビニのフォーマットは日本の世帯構造の変化にうまく対応したイノベーションといえます」
次に「心理変化」を捉えた事例として内田氏が示すのは、「メルカリ」だ。同氏は「今の若者は『物は持つものではなく利用するもの』と考えている」と話す。ライフスタイルやライフステージに応じて物を利用していく若い世代のニーズを巧妙に捉えたのがメルカリだという。
メルカリもマーケットの先行者ではない。それなのにマーケットシェアを圧倒的に獲得している理由を、「画期的なテクノロジーを導入したわけでなく、技術以外の要素が非常に大きい」と同氏は分析する。
「1人世帯、2人世帯の住居は物を置くスペースが限られていることが多く、また所得も上がらない中で経済面での工夫が必要になってきています。メルカリはそういった社会構造の変化をドライバーにしていることに加え、若者に限らずほぼ全世代に広まっている『もったいない』『エコロジー』といった『心理変化』もドライバーになっています。この2つのドライバーによって、大きく成功したのです」
顧客に行動変容を起こさせイノベーションをもたらす仕かけとは?
では、顧客はどのように行動変容へと至るのか。内田氏は4つのステップがあると説明する。
1つ目が前述の「イノベーションのトライアングル」。2つ目は、そこから新しい価値が生まれる「価値創造」。3つ目は、それによって顧客の態度が変わる「態度変容」。そして4つ目が顧客の行動が変わる「行動変容」だ。
内田氏はこのイノベーションの流れの中で、態度変容と行動変容こそがイノベーションであり、企業が刈り取るべき成果であると話す。
二輪車で自立走行できる「セグウェイ」は、注目度も高く世紀の大発明とも称賛されたが普及せず、顧客(人々)が移動する際の行動パターンを変えるまでには至らなかった。同氏はこれを「イノベーションの失敗例」だと捉える。一方、成功例として挙げるのがトイレの「ウォシュレット」だ。ウォシュレットの普及によって、トイレでお尻を洗うという行為がポジティブなイメージに変わった。ウォシュレットは態度変容と行動変容を成し遂げたのだ。
「行動変容を無理やり起こして成功するケースもあります。例えば、『Suica』や『PASMO』の普及はわれわれの利便性を高めただけでなく、交通機関の省力化にも貢献しました。見方を変えれば、交通機関側が顧客を誘導したケースともいえるでしょう。同様に、見事だったのがモバイル決済の『PayPay』が果たした行動変容です。『LINE Pay』や『d払い』といった競合がいる中、PayPayはユーザーに対して大々的にキャンペーンを打ち『使わなければ損』という空気をつくり出しました。また、加盟店に対しては1軒ずつ営業が足を運び便利さを説いて回ると同時に、初期の手数料を無料にして導入を促しました。その結果、PayPayはモバイル決済のリーダーになることができたといえます」
「発明家」よりも「変革者」を目指して粘り強く取り組む
「顧客の行動を変えることができるのであれば、後追いや横取りでも構わない」と語る内田氏。ビジネスのイノベーションにおいては、誰が最初に価値創造を行ったのかということより、誰が最後の刈り取りを行ったのかということの方がはるかに重要なのだという。
国内で「Red Bull」が成功した背景には、大正製薬株式会社の「リポビタンD」の存在があると内田氏は話す。栄養ドリンク販売会社Red Bullの創業者であるディートリヒ・マテシッツは「リポビタンD」にインスピレーションを受け、同ドリンクの成分を参考にしてRed Bullを開発したという。
「もちろん成分や製造方法は違いますが、製品のジャンルに大差はありません。しかし、ターゲットを『疲れた中高年』ではなく『若者』に、商品コンセプトを『疲れた中高年が疲労回復のために飲むもの』から『若者が行動を起こす前のエナジーチャージとして飲むもの』に変えたことで成功を収めました。『行動変容』を起こすためには非常に多くの手間がかかります。粘り強くやらなくてはなりません。ですが、全てを0から取り組む必要はなく、最後の刈り取りだけ上手にやってもよいのです」
「イノベーションを考える際は、自分はどういう社会を実現したいのか、顧客にどういったベネフィットを提供したいのかを考えることが大事である」と語る内田氏。最後に「『Inventor(発明家)』になるより、『Innovator(変革者)』を目指してほしいと思います。何がはやっているのか、どうしたらはやるのかを優先しがちですが、それよりも社会構造にどのような変化が起きているのか、どのように心理変化が起きているのかを考えることが大切です。『世の中を、消費者を、企業を変えたい』という信念のもとで、粘り強く考えて実行していくことこそが、イノベーションにつながっていきます」とエールを送った。


