ヘルスケアのイノベーション創出に向けたトレンドと取り組みを紹介するオンラインカンファレンス「CHUGAI INNOVATION DAY 2022」が2日間にわたって開催された。2日目のテーマは「DIGITAL INNOVATION」。セッション1では、脳と機械を接続して人の身体機能を補助する取り組み、ロボットと人の共同作業、人の認知行動に働きかけるセラピーロボットを紹介。デジタル技術のトレンドと、その社会実装における課題や展望を議論する。

ブレイン・マシン・インターフェースが開く医療とヘルスケア

 1つ目のプレゼンテーションには、慶應義塾大学理工学部生命情報学科教授で、LIFESCAPES代表取締役社長の牛場潤一氏が登壇。ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)技術について紹介した。

 まず牛場氏は「脳の特性は、経験によって変わる」という、脳の「可塑性」に言及した。例えば、てんかんの手術で脳を半分近く切り出しても、残った脳がその後の生活を通じて機能を復元する。牛場氏はこれを「脳のフロンティア」「大きな希望」と捉え、その解明とリハビリ医療への応用に取り組んできた。現在、研究のターゲットとする脳卒中は、世界4大疾患の1つ。発症した人の1/3が運動障害に苦しみ、1億人もの人が生活や仕事を失い、経済損失に苦しんでいる。

 体が動くメカニズムは、①運動の想起、②脳の運動野の反応、③運動シグナルの伝送、④筋肉の応答、⑤体が動くといったものだ。体の動きは脳に絶えずフィードバックされ、運動するための脳の機能の維持に貢献している。脳卒中後の麻痺では、③のシグナルを伝送する経路が傷ついて機能しなくなるために、体が動かない。

 麻痺しているとき、脳は代償経路を利用しようと探索するが、獲得することができない。このとき、代償経路のシグナルをキャッチし、電気刺激とロボットで筋肉の応答と体の動きをアシストするのが、BMIという脳と機械をつなぐテクノロジーだ。BMIをつけて動作を繰り返すことで、脳は経験を重ね、可塑性が発動する。運動するための新しい回路が形成され、最終的にはBMIを外しても、代償経路を使って麻痺した体を動かせるようになる。

 BMIを利用し続けた後の患者の脳の様子を見ると、運動野の活動、代償経路があるとされる補足運動野の活動が高まっていることが分かるという。当初あまり理解されなかったBMIだが、現在は世界で研究が進み、標準治療に比べて優越性があることが確認された。昨年改訂された日本脳卒中学会のガイドラインには、BMIの有効性が収載されている。

 こうした技術を世の中に届けるために、牛場氏は研究成果の活用企業としてLIFESCAPESを創業し、事業化を進めている。さらに現在「BMI2.0」として、損傷した部位の近くではなく、傷ついていない側の機能をターゲットとして活性化する試みに取り組んでいる。これによって今後、慢性期の患者の回復も可能になるという。

「手探りで研究を進めてきたBMIですが、今は『脳-AI 相互作用系』『可塑性研究』のツールの1つとして、学問的に認知されるようになりました。将来は脳のリビルドやデバッグの技術ができ、さらに脳の状態を回復できるツールになると考えています」と語った。

人と機械の融和の時代における、ロボット・AI・センシングテクノロジー

 2つ目のプレゼンテーションには、OMRON SINIC X Corporation(オムロンサイニックエックス)代表取締役社長の諏訪正樹氏が登壇。人と融和する機械として「卓球ロボット」を紹介した。

 オムロンは、オートメーション事業を展開する中で、人と機械の関係性を見つめ続けてきた。機械は、人の作業の代替から始まり、人と協働するようになった。そして将来は、機械が人間の成長を引き出す「融和」が加わるとして、その象徴として「卓球ロボット」をつくったという。

 卓球ロボットは、人を卓球で打ち負かすのではなく「卓球を楽しんで、人間のスキルを向上させること」をテーマに設計されている。また、センサ、コントローラ、ロボット本体など、同社の製品をベースにつくられており、当初は卓球を全く知らなかった。人間の身体性、頭脳、五感にあたる、ロボティクス、AI、センシング技術を使い、人と卓球することを通じて、人のスキルを向上させるスキームを学習し成長してきたという。2013年の第1世代から現在は第7世代になり、人のスキルを向上させるだけでなく「人の意欲を引き出しながら卓球を楽しむ」ことが可能になっている。

 さらに第7世代はダブルスに対応しており、人と人との相互理解を助けて、集団のパフォーマンスを高めることに挑戦している。神経科学的には、相互理解は「共感」「連携」の2要素から成ると考えられる。そこで卓球ロボットは、カメラの顔画像データから表情、瞬目頻度、心拍数、心拍変動を読み取って「共感度」を、打球情報と骨格情報から「連携度」をセンシングし、これらを高める返球計画を立てる。今夏には日本科学未来館(東京・お台場)に展示され、卓球ロボが卓球をする人の共感度・連携度の数値を上げていく様子が見られた。

 最後に諏訪氏は、OMRON SINIC Xが手がける家庭用の卓球ロボット、大道芸のコマ回しを人に教えるロボット、自然言語と画像データで動くロボットを紹介。「私たちはオムロンの研究子会社として非連続な技術進化を捉えた革新技術創出をミッションとしています。機械における身体性、頭脳、五感を磨きながら、人との協働、融和を追求していきます」と語った。

人の心を豊かにするアザラシ型ロボット「パロ」が世界の医療・福祉分野で活躍

 3つ目のプレゼンテーションには、国立研究開発法人 産業技術総合研究所 上級主任研究員の柴田崇徳氏が、アザラシ型のセラピーロボット「パロ」を紹介。柴田氏はこれを製造販売する知能システムの取締役を兼務している。

 柴田氏は1993年からパロの研究開発を行ってきた。アニマルセラピーには多くの利点があるが、アレルギー、かみつき事故、管理やコストなどの問題点があり、コンパニオン・ロボットでアニマルセラピーに代わるものを実現しようと考えたという。

 現在、パロは第9世代になっており、大きさは55cm、2.6kg。内部に聴覚用のマイクロフォン、視覚用としてプライバシー保護のため光センサ、全身を覆う触覚センサ、姿勢センサ、温度センサ、静穏アクチュエーター、人工知能を搭載し、ISOなどの規格に準拠。また親しみやすいよう、1体ずつハンドメイドしている。

 パロのセラピー効果は、痛み、抑うつ、不安、孤独感、不眠、QOLの改善、興奮の抑制・減少、ストレスの低減、血圧の安定化、動機づけ、社会性の向上などがあり、向精神薬の投薬の低減や、介護者・看護者の負担軽減につながる。また、パロは認知症者の問題行動への抑止効果が確認されている。2020年の三菱総研の調査では、認知症対策に関するエビデンスにおいて、ランダム化比較試験(RCT)で効果が示されたのはパロだけだった。

 パロは2005年から、日本国内外30カ国以上で約7500体が販売されてきた。米国、欧州、豪州、シンガポール、香港では医療機器となっており、公的な導入、助成、保険の適用が広くなされている。また、イギリスで国立医療技術評価機構のガイドラインに掲載されるなど、各国で認知症の非薬物療法としても高く評価されている。日本では福祉用具として補助金の対象になっている。

 パロのセラピー効果は、がん、PTSD、脳損傷、統合失調症、パーキンソン病等の患者、小児集中治療室、自閉症やダウン症のソーシャルスキルのトレーニング、リハビリなどの場面にも用いられる。ウクライナ避難民へ「心の支援」としてパロ6体が贈呈され、精神科に通院する子どもたちに使われている。

「3年間の予定となっている有人火星探査で、ストレスと孤独の問題を改善しヒューマンエラーを防ぐために、パロを用いるプロジェクトも進行中です」と柴田氏は語った。