企業が大きな変革を行うとき、社員をはじめ、関わるステークホルダーが同じゴールを目指せるかが鍵となる。たとえば自社でデジタル・トランスフォーメーション(DX)を進めるとして、DX後の企業の姿を一人ひとりがバラバラに描いてしまうと、変革はスムーズに進まないだろう。ただ、そんなケースは少なくない。

 こういった課題を解決するIBMの組織がある。「IBM Future Design Lab.」だ。テクノロジー動向や未来洞察、人を起点とした体験をもとに、企業の目指す姿を、ビジョン・ムービーなどによって可視化し、全員が共通認識を持って変革を進められるように支援する。いわば、企業が目指す「錦の御旗」を立てるのだ。

 IBM Future Design Lab.内で、そのようなVision Creationを手掛けるチームの礎に、同社が長年大切にしてきたデザイン思考があるという。Vision Creationとはどんなものか。そして、同社がデザイン思考を大切にしてきた理由とは。日本におけるIBMのデザイン部門を統括する柴田 英喜氏(IBMコンサルティング事業本部 インタラクティブ・エクスペリエンス(iX) デザイン・プリンシパル) と、Vision Creationを担当する岸本 拓磨氏(IBM Future Design Lab. チーフ・プロデューサー)に話を聞いた。

IBMがデザインを重視するのは「人の体験がすべての中心だから」

――この記事ではIBMのVision Creationについて伺いたいと思いますが、その前に、この取り組みはIBMが大切にしてきたデザイン思考がベースにあると聞きました。なぜ同社では、デザイン思考を重視してきたのでしょうか。

柴田 英喜氏(以下、敬称略) デザイン思考は、人の体験を中心に考えるアプローチだからです。たとえば私は、デザイナーを有するIBMのインタラクティブ・エクスペリエンス部門で、デザイン思考のアプローチを活用し、お客様のビジネス変革をご支援しています。どんな変革を行うかはお客様によりさまざまで、to Consumer向けのサービスが対象になることもあれば、to Business向け、あるいはto Employee(社員向け)までいろいろなものがあります。

日本アイ・ビー・エム株式会社 IBMコンサルティング事業本部 インタラクティブ・エクスペリエンス デザイン・プリンシパル 柴田 英喜 氏:
日本IBMユーザーエクスペリエンス・デザインセンターを経て現職。ユーザーエクスペリエンス・デザインの専門家として金融、保険、通信、公共、製造、などのお客様の顧客体験や従業員体験のデザイン、IBMデザイン思考を活用した新規事業創出や新規サービスの創出、ユーザーにとって魅力的で使いやすアプリケーションのデザインなどを担当。2009年 HCD-Net人間中心設計専門家認定、評議員。2016年 IBM Design Thinking Leader認定。

 ただ、これらすべてに共通するのは、その変革によって「人にどんな体験を提供できるか」を中心に考えることです。よく言うDXが目的ではなく、あくまでDXによって人の体験価値を向上することが目的です。

 こういった人の体験から逆算する思考は、デザインのアプローチそのもの。これがデザイン思考を重視する理由の一つです。

――IBMでは、ビジネスの中でどうデザイン思考を活用してきたのでしょうか。

柴田 IBMは全世界に3000人以上のデザイナーがおり、57のスタジオを持っています。また、各プロジェクトのチームを編成する際は、デザイナーを含め、多様な職種をメンバーに組み込むことで、チーム内で自然とデザインのアプローチが実践される体制をとってきました。

 デザイナーの育成についても、デザイン領域のスキルだけでなく、ビジネスとテクノロジーという2領域の知見も高めていく教育モデルを採用。デザイナーが、より上流から関われるように、デザインにとどまらない知識を身につけています。

――今回紹介するVision Creationは、企業が目指す未来を可視化するものだと伺いました。具体的な説明を聞く前に、それがなぜデザイン思考と関係するのか教えてください。

柴田 デザイン思考というと、一般的に、直近の課題を解決する手法として用いられることが多いと思います。新たに開発するアプリやサービスについて、人の体験から逆算して設計するなど。しかしIBMの定義するデザイン思考は、直近の課題だけでなく、未来の課題解決にも適用できると思っています。

 たとえば企業が10年後に目指す姿を考えるとき、大切なのは、その企業が未来において、お客様や社会にどんな体験を提供しているか。あるいは、企業で働く社員にとって、その会社がどんな存在になっているか。こういったことではないでしょうか。つまり、企業の未来を考える上でも、人や体験を中心に考えることが重要。デザイン思考が求められるのです。

 そのアプローチ方法で企業の未来を可視化しているのがVision Creationです。ここで描くのは、お客様が未来の人々や社会に「どんな体験を提供するか」です。

 私たちのデザイン思考で重要な概念に「目標の丘」というものがあります。これは、誰が、どんな体験ができるようになっているのか。そこにどんなワオがあるのか。そのエッセンスを一文にまとめたものです。我々は何を目指すのか、その指針となる北極星のようなものです。その「目標の丘」に向かって企業の変革を支援していきます。Vision Creationとは、まさに未来にどんな体験を提供するのかを考えるアプローチといえるでしょう。

Vision Creationとは。ビジョン・ムービーで社員の共通認識をつくる意味

――ではVision Creationがどんなものなのか、具体的にご説明いただければと思います。

岸本 拓磨氏(以下、敬称略) Vision Creationは、お客様が目指す未来の姿、主に10〜20年後の姿を、ビジョン・ムービーなどでコンテンツとしてデザインし、可視化するものです。

 なぜこんなことをするのかというと、たとえばある企業が大規模なDXを行う場合、そのDXのゴールとして、社員一人ひとりが思い浮かべる未来にはバラつきがあることがほとんどです。

 そこで、未来を明確に映像化してイメージのブレをなくし、社員やステークホルダーが「あの未来を目指そう」と共通認識を持つようにします。つまり、そのビジョン・ムービーで未来を描くことこそが目指すべき「錦の御旗」を立てることとなるのです。それは、社内外の動きにまとまりを生み、プロジェクトの推進力となるでしょう。

日本アイ・ビー・エム株式会社 IBM Future Design Lab. チーフ・プロデューサー​ 岸本 拓磨 氏:
大手放送局にて約20年、販促のイベントやCM・番組制作、クロスメディア企画などを担当した後、ソーシャルメディア運営、動画配信やARアプリなどのデジタルコンテンツ企画開発、宣伝・話題化などを担当。2016年にIBMインタラクティブ・エクスペリエンスに入社。現在、IBM Future Design Lab. のクリエイティブ&デザインチームのリーダーとして、次世代テクノロジーを掛け合わせたミックスメディア・プランニングやコンテンツ制作、ブランディング、広告プロモーション展開などで活動中。デジタルな顧客体験デザイン領域で外部イベント登壇多数。

――Vision Creationの事例として、紹介できるものはありますでしょうか。

岸本 第一生命様の事例を紹介します。同社は「いちばん、人を考える」ことを大きなテーマに掲げて活動しています。今後、お客様のことを考え、深く知り、寄り添うための手段として、リアルとデジタルの融合を未来のビジョンに掲げていました。

 しかし、そのビジョンから連想する未来の姿は、社員やステークホルダーによって差があります。デジタルが入ることで、お客様とどう寄り添えるのか、お客様にどんな喜びをもたらすのか、イメージできなかった方もいるでしょう。場合によっては「デジタルが人の業務を奪うのでは」と、ネガティブなイメージを持つケースもあったかもしれません。それは、リアルとデジタルの融合が進まないリスクにつながります。

 そこで作ったのが、以下のビジョン・ムービーです。リアルとデジタルの融合によりお客様の体験がどう変わるのか、どのように寄り添えるのか、この変革による未来をプラスで捉えられるような動画が出来ました。

視聴時間 00:04:01

 このムービーは株主総会で発表され、社内外のステークホルダーに未来のイメージを届けることとなりました。

――こういった動画は、どんな流れで制作されていくのでしょうか。

岸本 ケースとして多いのは、IBMがお客様のDXや戦略策定のお手伝いをする中で、目指すゴールとしてコンテンツ制作をする形です。お客様と長時間のヒアリングを行い、どういった描き方をすべきかご相談します。

ビジョン・ムービーで描く人の笑顔や絆。その裏にある狙い

――ビジョン・ムービーを作る際に心がけていることや工夫はありますでしょうか。

岸本 ユーザー視点に立ったストーリーを作ることです。企業視点で未来のサービスやビジネスを描くのではなく、それが最終的にどんな喜びや感動をもたらすのか、人々の体験を描くのがポイントです。

 先ほどのビジョン・ムービーを見ていただくと、未来の保険サービスによって笑顔になった人の表情や、家族の様子といった「人の温度」が映像化されています。企業の変革はあくまで人や社会の幸せや喜びのために行われることが重要です。それをコンテンツの中にしっかりと表現することで、社員やステークホルダー、企業が目指す未来に共感できるようにしたいのです。

 まさしくこれはデザイン思考の手法です。人の体験を中心に未来を描いて、そこから企業が何をすべきか逆算していく。その意味で、Vision CreationはIBMのデザイン思考がベースになっています。

Future Design Lab. のContent Design
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 こちらのビジョン・ムービーは、新しいテクノロジーによって、どのような笑顔や喜びが食卓や家庭の団らんに生まれるのか、多岐にわたるテクノロジーが人の幸せに資する可能性を優しく描いています。このように、人の体験を中心に置いて、次世代において「提供するサービスを通じてお客様にどのような喜びや感動をもたらすか」 誰かを喜ばせたいという思いを丁寧に物語の中で描くことが重要なのです。

視聴時間 00:03:20

――デザイン思考とのつながりが具体的に理解できました。

岸本 制作の際はお客様にヒアリングして、徹底的に顧客の分析を行います。その企業の目指す未来がお客様に何をもたらすのか。それを突き詰めていくのです。

柴田 未来を可視化することで、企業がこれからすべきことも見えてきます。描いた未来に向けて何が必要か。今からどんなテーマを設定して、取り組むべきかなど。企業のロードマップができるでしょう。

――このほか、ビジョン・ムービーを作る上で気をつけていることはありますか。 

岸本 企業の未来を描く際、現実から乖離し過ぎた未来を描かないことです。ビジョン・ムービーはフィクションではなく、あくまで企業が現実的に目指す未来。そのため、動画内に登場するデジタルサービスも、実現可能性を踏まえて表現しています。

柴田 IBMはテクノロジーに強く、数年後に技術がどこまで進歩しそうか、最新の動向やタイムラインを追いかけています。だからこそ、地に足のついた未来図を描けるといえるでしょう。

岸本 また、私たちはムービーを作って終わりではなく、その未来の実現に向けて伴走するのも特徴です。例えば、未来の新しい店舗サービスを描いた場合、動画にあったような店舗を実現するには、空間デザインをどう変えるか、店舗の中にはどんなデジタル端末が必要か。お客様と話し合いながら実現に向けて動いていくこともあります。

――今後、Vision Creationで行いたいことはありますか。

岸本 このノウハウを活用して、新しいテクノロジーが未来で生み出す素敵な体験をもっと可視化していきたいですね。ブロックチェーンやNFT(非代替トークン)、量子コンピューターなど、新しいキーワードが次々に出ています。最近だとメタバースもそうですね。こういったキーワードは、言葉だけがひとり歩きして、その技術がどんな喜びを与えるのか、どんな体験をもたらすのか、世の中に浸透していないケースも少なくありません。

 私たちはテクノロジー・カンパニーとして、これらの難しい技術をもっと簡単にスッと理解できるコンテンツを創っていきたい。そこでも中心になるのは、人の体験。この技術でこんな風に便利になる、喜びや感動が生まれるということをきちんと伝えたいと思います。まさしくそれは、IBMのデザイン思考そのものです。

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