ロシア首相、経団連幹部と会談、エネルギー供給国としての信頼性を強調 - 東京

「財界総理」に就いたことで御手洗冨士夫氏(右)の人生は変わった〔AFPBB News

起伏の激しい人生を送るのはカリスマの宿命とも言える。キヤノン会長であり、現役の「財界総理」すなわち日本経団連会長でもある御手洗冨士夫も例外ではない。

 2005年9月14日。この日、1本の電話がつながらなければ、波乱の多かった御手洗のビジネスライフも平穏な幕引きを迎えられたかもしれなかった。

 3年前、その電話の主は当時の経団連会長(トヨタ自動車会長)の奥田碩だった。

 「実は私の後任のことですが・・・」

 おそらく奥田はこんな風に切り出したのだろう。受話器の向こうの奥田の低くくぐもった声を聞いていたその時、御手洗はニューヨーク出張中でマリオット・マーキーズ・ホテルに滞在していた。

 「荷が重いですね」

 唐突な依頼に臆したのか、それとも奥田の真意を計りかねたのか、御手洗は即答を避けた。正式な返事をしたのは2週間ほど経ってからのこと。

 「よくよくお考えのことでしょうからお任せします」

 御手洗は受諾したが、不思議なことに、この人事はしばらく露見しなかった。

当て馬のはずが本命に

 マスコミ報道で口火を切ったのは毎日新聞。10月15日付朝刊1面で「経団連次期会長 御手洗冨士夫氏が有力」と報じ、他の全国紙は同日夕刊、NHKもその日のうちに後追いした。ニューヨークへの国際電話から1カ月。なぜ公表までにそれほどの時間を要したのか。

 実は、財界内には当時から「御手洗 “当て馬” 説」が囁かれていた。それによると、奥田はもともと後任に自分の部下であるトヨタ自動車副会長の張富士夫を考えていた。

 2代続けてトヨタ出身の経団連会長が続くことになるが、過去には稲山嘉寛(在任1980年5月~86年5月)、齋藤英四郎(86年5月~90年12月)と新日本製鉄出身者が続いたこともあり、昨今のトヨタの存在感からすれば財界内部ではさほど問題になるとは思えなかった。

 ただ、創業家の当主で奥田の先々代の経団連会長でもあった豊田章一郎が難色を示していた。

 「トヨタ、トヨタと続くのはまずい」

 「目立てば世間の嫉妬心を煽る」

 お蔵入りになっていた「三河モンロー主義」を髣髴とさせる章一郎の頑強な反対に窮した奥田は一計を案じる。当て馬の後継候補を立て、ことごとく断られた形にすれば、章一郎も張の就任を認めるのではないか。