エンリコ・ガッティ フランチャコルタ ロゼ
1975年に建設業を営んでいたエンリコ・ガッティがスタートしたワイナリー。ワイナリーに合流した子どもたちとともに1986年にワイナリー初のフランチャコルタをリリースした。
フランチャコルタの原点を今に受け継ぐ『ベルルッキ '61』 ジリアーニがベルルッキに「フランス式のスパークリングワインを造ってみては?」と提案したところからプロジェクトが始まり、長年の試行錯誤の末に、3000本の元祖「フランチャコルタ」を生み出したとされる。
現在も地名として「コルテ・フランカ」という名前も残っている。こちらは『バローネ・ピッツィーニ』にあった、コルテ・フランカの土壌サンプル。つまりフランチャコルタ内のブドウ栽培地名なのだ。
この立体地図の上のところがイゼオ湖。赤いラインで囲まれたエリアがワイン産地としてのフランチャコルタ。
油に漬け込んだ牛肉とポレンタ。アメリカ大陸発見後、トウモロコシはこのエリアの貴重な穀物となった。
フェレッティ社の超高級ボート。職人による手作りで、一台一台が人類の遺産ともいうべき芸術品。こちらはホテルに展示されていたそのミニチュア。イゼオ湖で、たまに実物が見れる。
もともとはトレントはロヴェレートの貴族だったピッツィーニ家はモーツァルトと親交があり、彼をサロンに招いていたような名家。1821年にラーナ家との婚姻関係が縁でフランチャコルタに移り、ワイン造りもしていたのだけれど、フランチャコルタエリア初にして唯一であり現存もするゴルフコースをつくる、フェラーリのエンブレムの発祥にかかわる、などといった華々しい逸話(HPで見れる
https://baronepizzini.it/en/mission/history/)がありつつも、戦後になるまでワイン造りに本腰をいれることはなかった。
『リッチ・クルバストロ』のワイナリー。フランチャコルタ以外にスティルワインも造っていて、目の前には赤ワイン用の畑がある。ワイナリーには19世紀に使われていた歴史的なワイン造りの道具が展示されている小規模なミュージアムを併設している。
『リッチ・クルバストロ』の地下ワインセラー。ぎっしりと、そして整然と熟成中のワインが並ぶ。このあたりのワイナリーでは、こういった地下セラーは珍しくない。