第1回日本学術会議のメンバー210人を選挙するため選挙有資格者4万人の科学者に投票用紙を郵送する作業を見守る関係者。中央は連合軍最高指令部経済科学技術長代理のケリー博士、学術会議組織委員長のK・カネシゲ博士(右)、選挙報告委員長の矢内原忠雄博士(左)。写真:写真:近現代PL/アフロ

 日本学術会議をめぐる問題、ますます喧しくなっていますが、にわか「専門家」の垂れ流す荒唐無稽の数々、多くは失笑を超え呆れて言葉も出ません。

「報道の自由」は「誤報の自由」「デマの自由」を保証するものではないはずなのですが・・・。

 学術会議をめぐる問題は大きく分けて3つあると思います。

 第1は「6人の任命拒否」にかかわる問題系。

 第2は、学術会議自体が持つ元来の大問題。

 第3は、今回の騒ぎで振りまかれた事実無根の嘘、デマの類の収拾。

 荒唐無稽な批評家を排し、高等学術の立場から、各々について簡潔に整理してみましょう。

デュープロセス、コンプライアンス、アカウンタビリティ

 第1の6人任命拒否問題については、前の前の学術会議会長、大西隆先生の実に清潔なロジックがすべてを尽くしていると思います。

 大西先生は国会の野党ヒアリングで「任命拒否は現行制度に照らしてどうなのかということが問われる」「将来、学術会議がどうあるべきかという議論とは別」と、実にきれいな筋道だけで議論を展開しておられ、一服の清涼剤のように思われました。

 すなわち、メディアや多くの野党、また学究の中にも「学問の自由の侵害」といった立論で、しばしば感情の修飾を伴ったストーリーを演じて見せるものが少なくありません。

 しかし、私はそういうものを一切信用しません。学術とは、常に冷静沈着で、論理的に整合したものでなければなりません。

 芸術音楽家の私が言うのですから、学者屋さんは、下手な素人芝居で激高する身振りなどはやめ、学者さんの本分である冷静な知的手続きに「のみ」集中するべきです。