2017年1月17日、スイスで開かれたダボス会議に出席した伊藤穣一氏(写真:ロイター/アフロ)

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 9月7日、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディア・ラボ所長を務めていた一人の日本人が、その職を辞しました。

 同時にニューヨーク・タイムズ取締役などの職も退いたことが国際的に伝えられています。

 彼の名は伊藤穣一。知る人は知る、影響力の大きな人物が失脚した形になっています。なぜ彼はMITを去らねばならなかったのか?

 すでに伝えられているように、伊藤氏は未成年者への性的搾取を目的とした人身取引の罪で有罪とされていた富豪、ジェフリー・エプスタイン(1953年1月20日~2019年8月10日)から長年にわたって多額の資金援助を受け続け、かつそれを隠蔽し続けていたことが発覚しました。

 メディア・ラボ内部からも矢のような批判を受け、ついに辞任となったものでした。

 この事件については、いまだ日本国内では広く報道されていませんが、大学や研究機関の本質を考えるうえでも重要な点がいくつも含まれており、丁寧に検討してみたいと思います。

異例ずくめだった
伊藤穣一メディア・ラボ所長人事

 MITメディア・ラボは1985年に設立され、ネット時代の「情報」と「アート」を牽引する組織として内外に知られる存在となりました。

(MITメディアラボ所長就任時のインタビュー記事:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/13174

 私自身が所属する東京大学大学院情報学環が1999年に設立される折にも、メディア・ラボが一つの手本とされましたし、現在副所長を務める石井裕さんなど、日本人のリサーチャーも長年コミットメントがあります。

 今回辞任することになった伊藤穣一氏は1966年京都で生まれたのち、幼児期をカナダや米国で過ごし、インターネットやパソコン通信の一般化以前からマシンを自作するなど独学で草分け世代のネットワーク・エンジニアとなった人物です。

 高校時代は日本で過ごしたのち再び渡米、タフツ大学やシカゴ大学で学びますがいずれも中退、起業家として頭角を現し、ベンチャー投資家/エンジェル投資家として、またネットワーク時代の知識人として、全世界にその名を知られるようになりました。