1941年4月、モスクワで日ソ中立条約に署名する松岡洋右外相。その後ろは、スターリンとソ連外相モロトフ(出所:Wikipedia

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 今年(2019年)5月、日本維新の会に属していた丸山穂高議員(当時)による「北方領土問題」についての発言が問題視され、国会を巻き込んだ大騒動になった。

 この「事件」によって、北方領土返還に向けて努力を重ねてきた関係者の長年の努力に水を差すことになってしまったのは、たいへん残念なことだ。北方領土を戦争で取り戻すという趣旨の、丸山議員の言動に問題があることは、誰もが認めることだろう。とはいうものの、日本維新の会の代表がロシア側に謝罪したことには疑問を感じざるを得ない。そう思う日本国民も、少なからず存在するのではないだろうか。

 北方領土が戦争で奪われたのは歴史的事実であり、それを戦争で奪い返すという発想は、頭の体操としてなら無意味なことでも悪質なことでもない。発言の自由まで否定するのでは「日本国憲法19条」の「思想・信条の自由」に反してしまう。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する」と定めた「日本国憲法第9条」の規定があろうがなかろうが、戦争で奪い返すことの実現可能性がほとんどゼロに近いことは、もちろん言うまでもない。

 丸山議員の発言が原因の1つとなったわけではないだろうが、北方領土返還交渉は暗礁に乗り上げたままとなっている。歯舞群島と色丹島の「2島返還」で妥協して交渉してみたところで、ロシア側の態度に変化はない。なぜなら、「日米安保体制」のもと、米国は日本のどこにでも軍事基地をつくることができるからだ。仮に返還された2島に米軍基地が建設されることになると、ロシアは千島列島で直接対峙することになってしまう。ロシアは、現時点でも世界最強の米軍の存在を恐れている。

 つまるところ、「北方領土問題」には、ロシア(=旧ソ連)だけが関わっているのではないのである。「見えない影」のように、米国がどこまでもついてくる。ロシア側のロジックに従う限り、「日米安保条約」が廃棄されて「日米軍事同盟」が解消するか、あるいは抜本的に改正されるかしない限り、北方領土の返還はありえないということになる。

 いくら日本政府が、返還されることになる2島には米軍基地はつくらせないと主張してみたところで、ロシア側が首を縦に振ることはないであろう。それは、歴史を振り返ってみれば明らかになることだ。

東アジアの諸問題は日本の敗戦から始まった

 東アジアは、激動の時代に逆戻りしている。1991年に米ソの冷戦構造が崩壊してから、見えなかった問題が顕在化してきたのである。尖閣諸島をめぐる日中対立、軍事的な台湾統一も辞さないとする中国共産党、いっこうに終わることのない香港のデモ、見通しの見えない日韓紛争などなど。枚挙にいとまがない。

 こういった東アジアの諸問題は、いずれもかつての「大日本帝国」の領土で起こっていることに注目したい。現在の「日本国」は、「ポツダム宣言」を受諾して敗戦した結果、日本列島と周辺の島々だけに領土が縮小してしまった。だが、敗戦前は「大日本帝国」だったのである。かつて日本は、良い悪いに関係なく、歴史的事実として海外に植民地を保有する「帝国」だったのだ。