ワールドシリーズを制し、ボストンでパレードを行ったときの上原。テロ事件ののちの市民の希望となった(写真:アフロ)

上原浩治が引退した。現役生活21年、その貢献はプレーだけではない。スポーツライターで野球選手のチャリティ活動を支援するNPO法人の代表をつとめる岡田真理氏が、知られざる一面を書く。(JBPress)

フェンウェイ・パークに飾られた上原とボストンの「絆」の証

 メジャーリーグ球団ボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パーク。

 関係者入り口を抜け、エレベーターで5階に上がって記者席へと歩いていくと、チームがワールドチャンピオンになった時の写真が大きく引き伸ばされて通路に並んでいる。直近では昨シーズン、ロサンゼルス・ドジャーズとの102年ぶりの戦いを制した瞬間。その隣にあるのが2013年、95年ぶりとなった本拠地でのワールドシリーズ制覇の瞬間だ。

 上原浩治が、キャッチャーのデイビッド・ロスと抱き合い、天に向けて指を突き上げている。現地の記者や球団関係者たちは、フェンウェイ・パークに来るたびに上原の姿を目にすることになるのだ。

 レッドソックスはこれまで9回ワールドチャンピオンに輝いており、2007年優勝メンバーには松坂大輔や岡島秀樹も名を連ねているが、特に2013年の優勝はボストン市民にとってもチームにとっても特別なものとなった。この年の4月、ボストンマラソンで爆弾テロが発生。チームは事件発生直後から、被害に遭った人たちの支援に一丸となって動いた。オークションやグッズの売上、選手からの寄付などで多額の支援金を犠牲者の家族や負傷者に届け、物理的に市民を助けるだけでなく、優勝という形でも街を励ました。

 ボストン市民にとって決して忘れることのない瞬間、まさにその“象徴”として中心にいたのが上原だったのだ。

 上原自身も骨髄バンク登録の呼びかけや病気の子どもたちの訪問を長きに渡って行うなど、慈善活動には非常に積極的な選手だった。

 昨年、日本人初の100勝・100ホールド・100セーブを記録した際にも、達成時のユニフォームなどをオークションに出品し、売り上げの全額を西日本豪雨の被災地支援に充てている。

 私事で恐縮だが、本職である執筆業の傍ら、日本のプロ野球選手の慈善活動をサポートするNPO法人「ベースボール・レジェンド・ファウンデーション(BLF)」を2014年に立ち上げた。アメリカで当たり前のように行われている選手や球団によるチャリティーの文化を日本にも根づかせ、野球によって救われる社会を実現したいという思いでの設立だったが、実はそのきっかけとなったのが、2013年のレッドソックスによるテロ被害者への支援と世界一制覇に感銘を受けたことだった。