東日本大震災5年、政府主催の追悼式 各地で黙とう

都内の国立劇場で行われた政府主催の追悼式で、祭壇の前を歩かれる天皇、皇后両陛下(2016年3月11日撮影)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI〔AFPBB News

 ついに「新元号」の新時代となったらしいのですが、前稿にも記した通り、私にはまだその実感もなければ、新しい元号には違和感の方が強かったりします。

 そんな中で、日本では過去179年間空席だった、古くて新しいある存在に注目して、新時代を考えてみたいと思うのです。

 「上皇」です。

 「上皇」に関する規定は、日本国憲法はもとより、明治憲法にも一切記されていません。

 近代日本では実質的に天皇位は終身が前提とされていたため、江戸時代、天保11年(1840年)に世を去った「光格天皇(1771-1840)」以来、上皇あるいは太上天皇という存在はありませんでした。

 しかし歴史をひも解くなら「後白河上皇」に代表される「院政」など、上皇という存在は日本史に決定的な意味を持ち、長い伝統を持ってきたのもまぎれもない事実です。

 平成最後の原稿にも記した通り、私は明仁上皇という方が大変好きになりました。

 大変不遜な申し述べ方で恐縮なのですが、「ファン」と言っていいかもしれません。あの方が次に何を考え、何を見せてくれるのか、正直、大変楽しみにしています。

 被災地で膝を折って「国民目線」で痛みを共有、「平」座の天皇に初めて「成」ることで、自ら「平成天皇」という名に、主体的な実態を与えた真の意味でのパイオニアとして、その動静に常に期待をもって注目しています。

(「平成天皇」はおくり名ですから、生前に申し上げるのは失礼なことですので、私は一貫して明仁天皇、明仁上皇といった表記を採用しています)