アシアナ機の着陸失敗事故、「自動操縦への頼り過ぎ」が一因

米サンフランシスコ国際空港(San Francisco International Airport)で着陸に失敗した韓国アシアナ航空(Asiana Airlines)のボーイング(Boeing)777型機(2013年7月6日撮影、資料写真)。(c)AFP/JOSH EDELSON〔AFPBB News

 2019年4月15日、韓国第2位の航空会社であるアシアナ航空が売却されることになった。

 たたき上げの創業者が後を託した「優秀な」子供たち。兄弟愛に満ちていた経営は、紛争の末に売却に追い込まれることになった。

 アシアナ航空を傘下に持つ錦湖(クムホ)アシアナグループは、資金繰り悪化から銀行団から強い圧力を受けていた。

 無理な拡大策でグループ売上高の6割を占めるアシアナ航空は3兆ウォン(1円=10ウォン)もの借入金を抱えている。

 年内に1兆ウォンの返済が来ることから銀行団は、「抜本的な対策」を求めていた。ついにオーナー側が「白旗」を上げてアシアナ航空売却の方針を決めた。

小学校2年終了

 経営責任を問われていたのは3月末に急遽辞任した朴三求(パク・サング=1945年生)氏だった。名前の通り創業者の三男だ。

 錦湖アシアナグループはどういう成長をたどってきたのか。

 創業者は韓国南西部の全羅南道出身の朴仁天(パク・インチョン、1901~84年)氏。貧しい家庭で生まれ小学校2年というのが最終学歴だ。

 様々な事業に手を出しては失敗を重ね、日本の植民地支配の末期には巡査をしていた。独立とともに再び事業に乗り出した時には46歳になっていた。

 米フォード・モーターの中古乗用車を2台手に入れ、光州市でタクシーの営業を始める。さらにこの地域でバスの運行にも乗り出し、ようやく事業成功の契機をつかむ。