内戦下のイエメン、4歳女児のレイプ殺人で男を公開処刑

イエメンの首都サヌアの広場で、4歳女児をレイプしたうえで殺害したとして死刑判決を受け、公開死刑執行される犯人(2017年8月14日)。(c)AFP/Mohammed HUWAIS〔AFPBB News

 前回のコラムは、多くの方に読んでいただいた様子で、また読後感の意見が割れていて、とても良いことだと思いました。

 そこで、本来はもっと先にと思っていた続編を、すぐ続けて出すことにしました。

「体罰」と「愛の鉄拳」を分かつのは何か

 何となく考えるだけ、心情的に流されるだけでは、わけの分からないことになります。ロジカルに物事を捉えることが大切です。

 私の論旨は単純明快、コンセンサスの有無、合意形成だけできれいに論を組み立てたうえで、それについては本文では触れず(ツイッターなどでは種明かししましたが)、結論だけを示しました。

 その解説編を記しましょう。

 ちなみに、こういう「種明かし」を特典につけるだけで、VALU(フィンテックサービスの1つ)の値が上がるかもしれませんよ、というアイデアを言ってくれた方がありました。

 私のコラムは野村証券を筆頭に各社の新人研修の教材に使われ続けているそうで(残念ながらロイヤリティなどゼロなのですが・・・苦笑)、シンプルな論旨と極端な事例の対照から、常識を源流に遡ってひっくり返すというスタイルで一貫しており、ここでも典型的にそのようにしてみましょう。

 「日野皓正のビンタは悪いのか?」

 この問いへの答は「日野皓正」の中にはありません。ビンタされた少年がすべてを決定するという、刑法の團藤重光教授が展開された「主体性理論」あるいは「行為無価値論」的な観点から検討したパラフレーズがエッセンスになります。

レイプと「そうでないもの」の分かち方

 さて、突然ですが、皆さんはレイプしたり、レイプされたりしたことがありますか?

 と、極端な例から入るのは物理の筋立ての常道で、0とか無限大とか極限を取ってものを考え、だんだん議論を追い込んでいこうという作戦になります。