認知症という時限爆弾、高齢化社会・日本に迫る危機

認知症という時限爆弾、高齢化社会・日本に迫る危機。写真は神奈川県川崎市の神社を散歩する伊藤金政さんと認知症患者の妻の公子さん(2017年1月10日撮影)。(c)AFP/BEHROUZ MEHRI 〔AFPBB News

 看護師として、私は認知症の患者さんに胃ろうを造設するたびに、その意義について考えさせられる。

 ある日、独居の80代の認知症患者さんが、誤嚥性肺炎を併発して入院してきた。加齢によって嚥下機能(食べ物や唾液を飲み込む機能)が落ちると、誤嚥(食べ物や唾液が誤って肺に入ること)が多くなる。時に、細菌が肺に入り込み、誤嚥性肺炎を発症する。

 この患者さんは、認知機能と嚥下機能の低下によって、口から食べることが困難だった。入院中、再び食べられるようにと介入したが、効果は不十分だった。

 ある時、この患者さんの内縁の妻という方が見舞いに来られた。「何としても治療して生きていたほしい」と言う。この患者さんに、血縁のある家族はいなかったが、どのような結末になるのだろう。

 実際に、摂食が困難な患者さんの対応は3通りある。

 1つ目は、経口摂取を継続したまま退院すること。多くはそのまま亡くなるが、訪問看護サービスによって適量の点滴を受けることもある。患者さんにとっては好ましい方法だが、家族の協力を要するため、独居の場合は難しい。

 2つ目は、病院で亡くなるまで待つ。比較的長い経過となるため、急性期の病院では対応が難しい。

 3つ目は、胃ろうを造設し、介護施設や慢性期の病院に移るケース。これは病院にとって都合が良い。胃ろう造設に関連した診療報酬を得られるうえ、早い退院でベッドの回転も高くなる。

 内縁の妻の方は3つ目のケースを希望し、スタッフの間では「食べられないのは可哀そう」という意見が多く、胃ろうが造設された。

 ところが、患者さんは「胃ろうとは何か」分からず、引いて抜こうとした。胃ろうを抜かないようにと拘束され、つなぎ服(自分で着脱できない服)を着せられた。