金正男氏が2人の実行犯に襲われた現場の国際線出発ホール(クアラルンプール国際空港第2ターミナル、筆者撮影)

 東南アジアには「平壌(ピョンヤン)レストラン(国ごとに微妙に名称が違う)」という北朝鮮政府直営の料理店がある。表向きは何の変哲もないレストランだが、そこは国際的な地下経済やその活動の拠点の1つになっているとも言われる。

 筆者も訪れたことがある。玄関先では、チマチョゴリを身に纏った妖艶なアガシが微笑みながら迎えてくれた。

 店に入ると北朝鮮兵士が「金主席万歳!マンセー!」と叫ぶビデオが流されており、北朝鮮名物「平壌冷麺」などに舌づつみを打ちながら、「喜び組」のライブも楽しめる。

 彼女らは容姿、舞踊、歌だけでなく、朝鮮語以外に、中国語、英語、料理店のある現地の言語も話す、北朝鮮から送られた"ハニートラップ"の精鋭中の精鋭、インテリの情報工作員とも言われている。

 どちらからですかと聞かれ、「日本人(イルボンサラム)」と言うと、彼女らの穏やかだった表情が一転曇り、「拉致される?」と一瞬、恐怖におののいたことは今でも記憶に新しい。

北朝鮮と国交がある国は161か国

 韓国の外交白書によると、北朝鮮と国交を樹立しているのは、161か国で、平壌に大使館を置いているのは、24か国。あまり知られていないが、意外に多い。

 この「平壌レストラン」も中国、ベトナム、ミャンマー、タイ、インドネシア、パキスタン、マレーシアなどの国交樹立関係にある国々で開業してきた。

 とりわけ、今回、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男(ジョンナム)氏(46)が暗殺されたマレーシアは、反米のマハティール元首相の影響で、2009年に両国間で相互ビザなしで訪問できる「最初の国」となり、北朝鮮が2003年からクアラルンプールに、翌年にはマレーシアがピョンヤンに双方が大使館を設置。

 マレーシアはこれまで北朝鮮の要請で、朝鮮半島情勢を巡る6者協議関連などの舞台にも頻繁に選ばれ、昨年10月には北朝鮮の外務省幹部と米国の元国務省幹部らが非公式に接触したことが確認されている。

 また、2013年には、マレーシアの私立ヘルプ大学が金正恩に名誉学位を授与するなど、マレーシアは北朝鮮と“緊密”な二国間関係を築いてきた。

 今回、マレーシア当局は「キム・チョル」の偽名旅券で正男氏を入国スルーさせるなど、隣国インドネシアとともに「北朝鮮人の出入りに“寛容”な国」(西側外交筋)でも知られ、これまで頻繁に北の工作員の姿もキャッチされてきたほどだ。

 今回の正男氏の暗殺事件で、「韓国の情報機関、国家情報院が事件発生数時間後にすでに事実を掌握していた」(同上)とされる一方、マレーシア政府の対応が後手に回り、犯行実行場所そのものにマレーシアが“選ばれた謎”も紐解くことができる。

 北朝鮮が活動拠点を東南アジア地域に拡大する最初のきっかけは、2005年の米政府によるマカオの銀行の金融制裁だった。以来、“親北”のマレーシアなどに秘密口座を開設するようになったと言われている。

 情報筋によると、正男氏は父の金正日が生存のときは、クアラルンプールの北朝鮮大使館などから金銭的支援を受けていたが、金正恩政権発足後の2012年からは、マレーシア、インドネシア、シンガポールに拠点を置くIT関係の会社などの海外ビジネスパートナーとのビジネスで経済的基盤を支えていたという。

 「今回、6日にマレーシア入りしたのもビジネス関連だろう」(正男氏知人関係者)といわれている。

 クアラルンプールには、2010年から2013年頃、最大の支援者の叔父の張成沢氏の甥で正男氏のいとこが北朝鮮の大使に赴任している間、KL郊外の一軒家に住み、長いときは半月から1か月近く滞在し、近隣のお気に入りバーによく姿を見せていたという。

 しかし、張成沢氏一家が2013年に処刑された後は、マレーシアで目撃されることがほとんどなくなり、再び姿を見るようになったのは、ここ1、2年ほどだったという。