地域医療への支援を表明する広野町の遠藤智町長(中央)

 東日本大震災と津波、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故で甚大な被害を受けた福島県広野町の医療が危機に瀕している。

 広野町周辺地域で唯一入院診療が可能な医療機関だった高野病院の院長、高野英男氏が2016年12月30日自宅での火事でお亡くなりになったのだ。現在、高野病院は、院長・常勤医不在で、診療を続けている。

 高野病院は昭和55(1980)年に広野町に開設、内科療養病棟65床、精神科病棟53床を抱え、広野町周辺地域の地域医療を支えてきた。特筆すべきは2011年の東日本大震災後の対応だ。

 福島第一原子力発電所から南にわずか22キロ、緊急時避難準備区域に位置していたにも関わらず、震災後も1日も休むことなく診療を続けてきた。その中心になったのが高野院長だ。

私財もなげうって続けた診療

 震災当時、既に齢75歳だったが、唯一の常勤医として診療に当たってきた。被災地で診療を続けるために私財も投げ打ったという。

 寝たきりの患者が多くそもそも避難が困難だったと高野院長は謙遜されていたが、地域医療を守るというその思いには並々ならぬものがあった。一連の取り組みは2016年10月のETVでも放送され、大きな反響を得た。(2017年1月21日に再放送予定)

 しかし、震災後の高野病院の歩みは困難の連続だった。最大の理由は人口減少である。

 震災後、広野町の人口は、震災前の5400人から約3000人まで減少した。2015年9月に警戒区域が解除された隣の楢葉町においても約8000人の人口のうち楢葉町に戻ったのは約400人にとどまっている。富岡町は現時点で帰還が始まっていない。

 人口減少が著しい「限界集落」において医療を民間病院だけで維持するのは大変困難である。実際、震災後の高野病院においても、従来の雇用を維持しながら診療を継続することが非常に難しい状況となっていた。

 しかし、高野院長の次女である高野事務長が福島県に、「地域医療を安定的に提供するために力を貸してほしい」と支援を依頼しても、民間病院であることを理由に「高野病院を利するための支援は不公平である」と告げられ、全く取り合ってもらえなかったと言う。

 その一方で、広野町を含む双葉郡の救急医療を充実させる目的で「ふたば医療センター(仮)」30床の建設準備が24億円という予算を使い双葉郡富岡町で進んでいる。初期投資は一床あたり8000万円という多額の税金を投入する。

 それ以上に衝撃的なのが、現在避難区域で休止している県立病院を再開した際には、この医療機関を潰すことが最初から決まっていることだ。現在の見通しでは5年以内に避難指示が解除される予定である。