外国メディアも速報=福島沖地震と津波

福島県大熊町の福島第1原子力発電所(2016年2月11日撮影)〔AFPBB News

 また福島沖で地震があり、津波警報が出されたとの報がありました。被害が最小であることを祈りつつ、地球の反対側、海のないベルリンで本稿を記しながら「地誌」の違いを強く感じます。

 日本は地震大国と言われます。地球表面上、複数のプレートが出合う場所にあるため、確かに地震が起きる可能性は非常に高い。

 しかし、ここで「地震」と「震災」とを分けておくのが、重要であると思うのです。震災つまり地震に起因する災害は、必ずしも天災ばかりでない。

 例えば、先日博多のど真ん中に開いた砂地の穴を地震が直撃していたら・・・と記しました。

 いま仮に、砂をお弁当箱にしっかりパックして、激しく揺れる台の上に乗せるとしましょう。

 パックがしっかりしていれば、砂は外にもれずにすむ可能性が高い。

 逆に、単に盛り上げただけの砂の山を激しく揺れる台に乗せたら・・・結果は言うまでもないでしょう。

 日本列島というのは元来「激しく揺れやすい台」のようなものです。その上に構造物を建てるなら、堅固なものにすればよさそうなものなのに、実際には、日本の都市は、軟弱な地盤の上を選ぶようにして作られているんですね、なぜか。

 これは人為的にそうしているのであって、理由がはっきり存在します。

 日本という国と、そこで人々が生きながらえ、またそこに2000年来敷かれてきた支配体制という人的要素が明確に起因して、もとより発生しやすい地震が起きた時、それをわざわざ大震災に拡大するような構造を作り出している。

 このところ、国大協「大学改革シンポジウム」などで「文理横断」の重要性を強調していますので、地震という自然現象の理科を、震災という社会現象の人文社会科学的検討と併せて、以下で考えてみたいと思います。

(参考・関連記事)「博多の陥没が警鐘を鳴らす都市の脆弱性

銅鐸と和同開珎・・・疑いながら歴史を学べ!

 話が飛ぶようですが、皆さんは古代の歴史を学ぶとき「銅鐸」「銅矛」「銅剣」といった青銅器の写真を見せられたと思います。これらは紀元前2世紀~紀元2世紀、つまりBC100年代からAD100年代という「弥生時代」の遺物で、古墳時代の到来と共に姿を消して行きます。

 他方、奈良時代の歴史を学ぶと「和同開珎」が「日本で初めて鋳造・発行された銭貨」として教えられます。和銅元年=708年、つまり奈良時代初期になって初めて「日本(=この場合は埼玉県秩父市・秩父郡)で銅貨を鋳造した」とある。元号まで変えて大変な騒ぎようです。

 でも奈良時代の前に飛鳥期があり、その前に古墳時代が数百年続き、さらにその前の弥生時代(素焼きの土器の時代ですよね)にすでに「銅鐸」とか「銅矛」とか作ってるじゃないですか?

 何か変だと思いませんか。900年前の弥生時代から鋳物の技術はあったでしょうに、なぜいまさら「和同開珎」で大騒ぎ?