中国半導体メーカーがメモリ市場に攻めてくる。6月29日掲載の前編「中国のフラッシュメモリを甘く見てはいけない理由」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47150)にて、「うっかりすると日本のフラッシュメモリはDRAMの二の舞になりかねない」と警鐘を鳴らした。

 後編の本稿では、どういう条件が整うと中国のメモリ産業が立ち上がり脅威となるのかを探る。

 最初に中国政府の半導体産業育成政策を俯瞰する。続いて中国で興隆している産業と比較し、現時点で半導体産業が立ち上がらない原因が上流技術の研究開発力不足にあることを示す。次に中国企業の研究開発状況に触れた後、今起こりつつある研究開発の国際分業化が鍵になることを述べる。

半導体産業育成政策の歴史:「追いつこうとしては離される」の繰り返し

 中国で本格的な半導体産業育成政策が取り入れられたのは1991年、第8次5カ年計画である。6インチ(半導体基板の直径)用のファブ(半導体製造工場、月産1万2000枚)の建設を目標とし、20億人民元が投入された。AT&T社から0.9µm(配線の幅)プロセス技術を導入、必要な輸入品の関税免除など矢継ぎ早の政策が実行されたが、目標のファブが稼働したのは信じられないことに、プロジェクト開始から7年も過ぎた1997年のことであった(王昕、横浜国際社会科学研究 第19巻第1・2号、2014年8月)。

「1台のリソグラフィ(回路パターンの転写)装置を買う場合、日本製にするのか、オランダ製にするのか、これさえ国務院の電子部に報告しなければいけない」と当時が回想されている(前述)。国務院とは政府である。日本に例えるならば、ステッパー(回路パターンを転写する半導体露光装置)の機種選定ですら経済産業省にお伺いを立てねばならないというところか。

 90年代にはまだ計画経済が色濃く残っており、政府は行政指導で産業をコントロールしようとした。いわば政府がCEOだった。何ごとも政府にお伺いを立てなければならない。とても世界の半導体産業のスピードについて行ける状態ではなかった。