「遊び」が指し示す内容は、実に幅広い。ゲーム、スポーツ、ダンス、楽器の演奏、演劇、クイズ、祭り、これらはみんな「遊び」だ。

 日本人は遊びの達人であり、日本文化の中には遊びの精神が脈々と流れている。しかし、最近の日本は遊びを軽んじていないだろうか。日本を元気にするには、遊びをもっと大切にする必要がある。

遊ぶ人間、ホモルーデンス

 大学に勤めて32年になるが、最近の大学には「遊び」が減っていると感じる。シェークスピアを教えるより、観光案内に役立つ英語を教えろというような批判があり、すぐに役に立つ教育や成果が求められる。

 こうして大学はどんどん「まじめ」な教育をするようになっている。しかし、果たしてそれで創造的な人間が育つかどうか、甚だ疑問だ。そこで今回は、遊びの効用について、まじめに書いてみたい。

 そもそも、「遊び」(play)とは何だろうか? この疑問を掘り下げて、人間についての考察を深めた人物がいる。『ホモ・ルーデンス』という本を著した言語学者ヨハン・ホイジンガだ。ホモ・ルーデンスとは、ルードス(ludos)をする人(遊ぶ人)、という意味である。彼は遊びこそが、人間を人間たらしめているものだと考えた。

 遊びという概念を理解するには、これと対をなす概念を考えてみるのが近道だ。それは「まじめ」だとホイジンガは書いている。これも一案だが、私にとってもっと納得がいく対語は「仕事」(work)だ。仕事は、収入を得たり家庭を維持したりするための諸活動である。

コミュニケーション能力は“遊び”を通じて育まれる

 仕事と遊びの違いは、進化のメカニズムである「自然淘汰」と「性淘汰」の違いに対応していると私は考えている。

 仕事は、狩猟採集生活時代における、男性による狩猟や女性による種子採集にルーツがある。当時の社会において、狩猟技術や収穫能力は、生存に直結していたに違いない。このため、自然淘汰によって手や手を使う技能が進化し、それが頭脳の発達につながった。今日でも、あらゆる職種を通じて、仕事とは手と頭を使う作業である。