原発事故の避難で自殺、東電に賠償命令 因果関係初認定

福島第1原子力発電所で、放射能汚染水対策のための「凍土壁」の建設現場で放射線量を測定する東京電力の職員(2014年7月9日撮影)〔AFPBB News

 「『住民との軋轢』って言うけど、あなたたちはどれだけその軋轢を見たことがあるんですか」

 ある勉強会で、いわき市の住民の方が講演会の演者に対してされたコメントです。

 「多くのいわき市民は避難された方々と上手くやっているんです。でも外の人はすぐ軋轢、軋轢って言う。もちろん人ですから争いはありますよ。でも私たちが心の狭い集団だと思われるのも心外です」

 本来ニュースとは本来特殊な事例、極端な事例を扱うものです。しかしニュースが「一般論」として一人歩きした結果、無用な足の引っ張り合いを生んでしまいます。

「保守的な村」という誤解

 「避難してから、周囲の『同調圧力』がつらいのよ」

 津波で家を失い、70年来初めて転居を余儀なくされた女性がふと漏らされた言葉です。

 「以前、となり組とだけ交流しているときには、みな多少違っても放っておき方が分かってた。知らない人ばかりが周りにいると、お互いに自分のやり方を譲れなくって、むしろ違う人が攻撃されやすいの。生まれ育った土地をなくしたストレスもあって、どうしても違うものを排除しようとしてしまうみたい」

 排他的な集団をよく「XXX村」と表現したりしますが、実際に小さな社会で暮らしていくのであれば、自分に合わない意見を排除していては生活ができません。

 「外から来た人なら言いたいことを言って出て行けばいいけど、中に住む人はそうはいかないでしょ」

 長年地域のリーダーを勤める方がおっしゃったことですが、むしろ土地に根づいている、という安定感のある方は、互いの意見を戦わせない努力をされるのかもしれません。そうやって改めて眺めて見ると、確かに排他的な意見はむしろ外からきた方、外へ出て行った方に多く聞かれるように思います。