以前から恐れていた事態が現実になってしまいました。

理研の笹井副センター長が自殺、STAP論文指導役

自殺した笹井芳樹理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(理研CDB)副センター長(2014年4月16日撮影)〔AFPBB News

 8月5日、神戸の理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)で、副センター長の笹井芳樹さんが自ら生命を絶ったという報道がありました。

 このコラムでも、また東京大学で開いている哲学熟議などでも、一貫して[罪を憎んで人を憎まず]個人攻撃のようなことではなく、適切に問題を切り分けて早急に適処する重要性をお話ししてきましたが、こういう形で犠牲者が出てしまいました。

 今回は、笹井さんの訃報に続いて伝えられた、いくつかの報道を目にして、私が気づいたこと、これもまたたぶん、他のあらゆるメディアで一切触れないであろう内容に絞って、お話ししてみたいと思います。

同世代として感じる「責任意識」

 笹井さんの行動の背景や、その意図といったものをここで詮索するつもりは全くありません。ジャーナリストでもなければ批評家でもない、しかし笹井芳樹さんとほぼ同じ世代に属して、似たような時期に大学に籍を置いて仕事してきた、アカデミアに関わる一個人として最も強く感じるのは、自分の組織に属する若い人たちへの彼の責任意識です。

 笹井さんは理研で約20人の若手研究者や大学院生の指導をしていたといいます。それが、約2カ月前から、組織の存続が危ういことから、自分の下で働いている若い人たちの再就職先を探し、自分の研究室は閉めるから行き先を探すようにという指示も細かにしていたと毎日新聞は報じていました。

 笹井さんは私から見て元の学年で3歳上に当たります。私が中学1年のとき高校1年にあたる学年ですから、学校から社会に出るタイミングなど、ほぼ同じような時代を生きてきたと言えると思います。

 笹井さんが京都大学で教授に就任したのは36歳とのことですが、彼とは分野も職位も全く違うけれど、私自身が大学に呼ばれたのも34歳のときで、1~2年の違いしかありません。

 より強く感じるのは、1999年から2000年にかけての時期です。新しい21世紀を迎えるにあたって、当時の日本の高等学術機関は、いろいろな組織改編を行いました。

 理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター(CDB)が新設され発足したのは2000年、まさにこの「世紀代わり」のタイミングでしたが、私が東京大学に招聘されたのも同じ2000年、新たに作られた「大学院情報学環」という組織に新設されたポストに着任したのも、同じタイミングであったことに改めて気づきました。と言うのも、笹井さんが遺した、とある一言を目にして「ハッ」としたのです。

理想に燃えて立ち上げたはずの組織

 笹井さんは38歳だった2000年、CDB設立に参加した当初「日本の大学では嫉妬されたり雑用が多かったり、若い研究者が自分の研究室を持ちにくい。CDBは、若手が思いっきり活躍できる研究所にしたい」と理想を語ったそうです。

 多くの方がたぶん、何気なく読み流してしまわれると思うこの一言の背景を考えてみて下さい。笹井さんは36歳の若さで京都大学医学部教授に就任、年齢から考えて1998年にあたるはずです。