津波被災地の道路は今どうなっているのか

福島から青森まで、太平洋岸を走破する旅(前篇)
2013.3.4(月) 両角 岳彦 follow フォロー help フォロー中
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福島県から宮城県に入った亘理郡山元町。常磐線・坂元駅は駅舎とその前の商店街が津波に直撃され、震災・津波の直後には半壊した駅舎や跨線橋が残っていたが、今は周辺の建屋の残骸やレールも含めてほぼ全てが撤去され、表土と泥が広がる中にコンクリートのホーム基礎部分だけが残っている。この場所に再び線路を敷設しても再び大きな津波に襲われればまた大きな被害を被ることは必須であり、JR東日本は山側に新しい路線を建設しての再建を提案している。(筆者撮影、以下すべて)
津波が浸入して退く動きのエネルギーに直撃された海沿いの平地は、破壊による瓦礫が一掃されて剥き出しの表土が広がり、ところどころに建物の基礎だけがのぞく。道路よりも海沿いには瓦礫をうずたかく積み上げた集積場、暫定的な堤防としての土嚢、さらに嵩上げを進める四角い台地状の土砂の山、海を遮ろうとする高い防波堤の建設現場などが次々に現れる。土を覆うものがほぼ全て失われ、その中を瓦礫と土砂を運ぶダンプが次々に往還するために土埃がひどく、溶けた雪と混じり合って道路もその周辺も粒子の細かい泥で汚れている。ここから先、津波が押し寄せた場所でずっと見続けることになる光景。
松島は津波と地震、両方の被害の痕こそ残るが観光地として復活している。しかし、アクセスは、JR仙石線が仙台から松島海岸までは運行されているとはいえ、観光客や定期利用客以外の人流と物流はクルマに依存せざるをえない。松島観光や土産物の店が並ぶ中を抜ける国道45号も渋滞中。
石巻港一帯の海に面した広い地区にも更地が広がる。そこに大量のクルマが積み重ねられていた。ナンバープレートが付いたままの車両も少なくない。この周辺だけでもこれほどの数のクルマが津波に流されたのである。海に沈んだままのものも多いはずだ。
石巻では港湾施設の復興が進む一方で、そこここに瓦礫がうずたかく積み上げられて台地状になっている。岸壁に近い所に残る数少ない構造物は日本製紙の工場であり、2012年8月には抄紙ライン全てが復旧・再稼働したとのことで、勢いよく煙が上がっていた。
国道45号が志津川湾に出てまもなく目に入ってくる「南三陸町役場防災対策庁舎」。津波襲来時の悲劇、その後の被害状況の紹介などでしばしばメディアに取り上げられてきた3階建て鉄骨の骨格だけが、今も周辺一帯が表土剥き出しの更地になった中に残っている。その3階部分までは海水に没したわけだが、背後の丘陵地帯まで行くと斜面に建つ家々もその形を止めていて、今は生活が維持されている。
津波によって湾の奥へと運ばれた小型漁船やプレジャーボートが、いまや残骸となって石巻における乗用車と同じように積み重ねられている。もっと大きい船舶が地上に残された状況は様々に紹介されているが、こうした小型船の船体はほとんどがFRP(ガラス繊維強化プラスチック)製であり、以前からそのリサイクル、廃棄の難しさが指摘されてきたもの。海と暮らしてきた人々と地域にとって、こうした日常の道具が失われたことと、その廃棄処理の両方が問題になっている。
志津川湾の北に小さく入り込んだ湾(伊里前湾)の奥に位置する歌津も、狭い平地に津波が集まった形で、海沿いに橋脚を立てて造られた道路バイパスの「歌津大橋」が落橋。橋脚に載せてあった橋桁が津波に持ち上げられてさらわれた形であり、橋脚にもダメージが見受けられる。その陸側の平地にあった建物も根こそぎ失われた。今は旧道が国道45号の迂回路として使われている。
「復興仮設商店街」と言えば志津川のものがしばしば紹介され、開設からしばらくは好況だったものの観光客の入り込みが減った最近は経営が苦しい、という状況も伝えられている。ここ歌津でも落橋した歌津大橋の前に立って振り返ると、こうしたこじんまりした仮設商店街があり、背後の高台にある伊里前小学校、歌津中学校の校庭には仮設住宅が並んでいて、日々の生活を支えていることが伝わってくる。仮設商店街の前には「たすけらいだよ、ありがとう」の手書き看板が。高台側に気仙沼線・歌津駅もあるが列車の姿はない。
海に近い橋は各所で落橋していて新たに仮設橋や取付道路が造られている。そこを生活や復興の資材を運ぶトラックや乗用車に加えてダンプが次々に行き交う。白ナンバー(自家用)かつ他県登録の車両も多く、被災地の瓦礫移送や土砂輸送などの公共事業に多数の車両と運転者が入り込んでいることが見て取れる。当然ながら何次もの下請け構造が形作られているのだろう。表土剥き出しの更地の中を瓦礫や土砂の輸送が続いているので、路面は細かな土埃で覆われ、クルマも汚れてゆく。
今回、国道4号から45号を走る中で何カ所か見かけた中小規模のエネルギープラントの新設現場の1つ(陸前小泉)。外観からすると火力発電設備と思われる。ほとんど報道されていないが、大量の水を使う発電設備はやはり海際やここのように河口に近い川岸に新設されていて、当然ながら再び津波に襲われた時には既存の大規模施設以上に脆弱なものとなる。しかし当面のエネルギー供給を確保するために「背に腹は代えられない」ということか。
JR南気仙沼駅があったあたり、海とほとんど同じ高さで広がる平地の上に建てられていた人造物は、ここも津波に覆われ、引き波のエネルギーを受けて破壊され、さらわれて瓦礫と化した。それがほぼ全て除去された今は、大きな建造物やその駐車場があったことをうかがわせる基礎や舗装面がただ広がるのみ。奥に見える低い丘陵の裏側にJR気仙沼駅とそれを取り巻く旧来の商業地区がある。
気仙沼湾の中に張り出すように伸びている平地の先端近く。視点の背後に大きな魚市場があり、まだ再建途上。この先には水産加工や冷凍の大きな工場が並んでいた場所である。地盤が沈下している状況は写真からも分かるだろう。写真左側に港湾の突堤が伸びているが、そこに海水の浸入を止めるための土嚢が積み上げられている。この土地を10メートルも嵩上げして再び強固な施設を建てるための工数と費用は莫大なものになる。もちろん気仙沼だけの状況ではないのだから。
JRは甚大な被害を受けて運転不能になっている気仙沼周辺の路線の一部を、BRT(に近い形態)での運行を始めている。赤く塗られた車体のバスがこのBRT路線のもので、天井に載せた機器を覆う四角いカバーを持つことから、今回BRT用に納入された日野自動車のハイブリッド路線バス(エンジンとモーターの両方で駆動するパラレルハイブリッド方式)であるのが分かる。2012年12月から気仙沼線の気仙沼~柳津間、2013年3月には大船渡線の気仙沼~盛の間の運行が始まる。すでにBRT化した路線では、鉄道の頃よりも運行頻度を増して便利になったという声はあるが、利用者は震災前より少ない、という。
気仙沼線の線路(単線)を除去し、BRTのバス専用道に造り直している現場。気仙沼市内、気仙沼駅から2キロメートルあまりの地点である。こうして線路から造り替えた専用道はまだ4キロメートルあまりしかなく、今後転換を進める予定とはいうが周辺の路線には落橋や盛土の流失など甚大な損傷を受けている個所も少なくない。結局は国道45号を含む一般道を他のクルマとの混合交通の中を走らざるを得ず、BRTならではの速達性や定時性、エネルギー消費の改善はあまり期待できない。その一方で鉄路の再建は、国レベルの政策決定と、それに伴う巨額の資金投入無しには困難な状況である。
太平洋に直接開口した湾の突き当たりに広がる平地は風光明媚な海水浴場と松林の公園だった。その陸前高田の松原公園がまさにこの左手。たった1本残った松も今はない。 右手奥には野球場があった。宿泊や休憩のための施設もそこここに点在していたのだが、写真のように打ち壊されてしまっている。その右奥に見えるように、仮設の防波堤はここだけでなく各所に設けられ、10メートル以上も立ち上がる巨大な防潮堤やその背後で無機質に嵩上げされる地盤などの土木工事も進められつつある。
リアス式海岸の小さな湾に沿って漁港があり、その背後の狭い平地に人家が密集している。三陸沿岸を走ってゆくと、経済の核となる主要市街よりもむしろ、長年の間に人々が定着したこうした生活の場がいかに多いかがよく分かる。ここは大船渡と釜石の中間に位置する唐丹。眼下の左手は小白浜漁港。間に道路を兼ねる高い防波堤を置いて(特に手前側の破壊が大きくコンクリート塊が倒壊している)、集落が形成されていたが、海辺と同じ高さの土地にあった商店街などは打ち壊され、その後ろで途中で一段高くなった斜面に津波がぶつかり削り取ったが、背後の建物は浸水はしたものの壊されてはいない。
釜石港の現況を北側の岸から見る。漁船を係留してある桟橋がほとんど海面と同じ高さしかない。元々はもっと高く潮位にもよるが中型漁船の乾弦ぐらいまではあったはず。それだけ地震によって地盤が沈下しているということだ。それだけでなく岸壁全体が波打っているし、堤防沿いには瓦礫が積み上げられている。写真右手奥が釜石市街。湾の奥から山塊の中へ、谷間に沿って町が伸びている。
釜石港の港湾合同庁舎の外壁には津波の到達高を示すプレートが張られていた。真新しい建屋の周囲は、ここもほとんど何もなくなってしまった状態であり、特に「魚河岸」と呼ばれた海に接するエリアは、魚市場も加工施設や倉庫も失われている。港の奥で湾と市街をオーバークロスする国道45号バイパスの橋は無事。
釜石市街から北へ向かう国道45号に沿って、斜面の高台に造られた仮設住宅(天神町仮設住宅)。もちろん被災地にはどこもこうした仮設住宅が造られているが、ここは元々の市街に接する場所にあり、職場や学校へのアクセスや日常の買い物などについては比較的条件が良いかと思われる。23棟が並ぶ敷地の中にも商店街があることが、黄色い看板に記されている。もっと条件が良くない仮設住宅もたくさん見かけた。

産業の写真

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