ホバークラフトという乗り物がある。地面から少し浮き上がって移動する。浮いて進むのでタイヤはいらない。砂地でも岩場でも海でも川でも移動できる。私は、そのホバークラフトの設計図を持っている。といっても本物ではなく模型の設計図だ。弁当箱ぐらいの大きさのホバークラフト。

 私が小学校6年生の時に、「子供の科学」という雑誌に載っていた。その時に作ったのだが、うまく浮き上がらずに失敗した。いつかきちんと完成させようと思い、設計図を切り取って持っていた。

 当時「子供の科学」には、毎号模型の作り方が載っていた。水中翼船とかポケットラジオとか望遠鏡とかだ。小学生の男の子にとっては、どれも作ってみたいなという思いをかきたてられるものだった。

書類の山に隠れた総勢4人の編集部

 先日、新聞を見ていたら、「子供の科学」の広告が出ていた。昔と同じロゴだ。懐かしい。あの憧れの雑誌は今、誰がどんな思いで作っているのだろう。

 私は東京都文京区本郷にある誠文堂新光社の「子供の科学」編集部を訪ねた。

 編集長の柏木文吾(37歳)が部屋を案内してくれた。編集部は2フロアーあり、その1つは各雑誌(「天文ガイド」や「アイデア」など)編集部が使い、背の低いロッカーで仕切られている。どの編集部もロッカーに積み上げた書類で砦を作っている。

 「子供の科学」編集部の砦には、捕虫網があり顕微鏡があり「実験道具」と書かれた段ボール箱がある。編集長を含めた社員3人と契約社員1人がいる。書類の山の中のパソコンに向かって黙々と作業をしている。

 宇宙、生物、化学、昆虫、実験、模型、紙飛行機の型紙、クイズ・・・など、扱う対象は多岐にわたり、写真や絵を使って子供が興味を持つように表現している。

 「それをたった4人で?」私がたずねた。「いやー、外部に何十人もスタッフがいるんです」柏木はふさふさした髪をかき上げながら大きな声で笑う。編集長になって4年目だ。

「文藝春秋」より1年遅い1924年の創刊

 私がホバークラフトの設計図の話をすると、柏木はうなずいて、「子供の科学」を懐かしいという人はたくさんいるのだという。「なにしろ古い雑誌ですから」

 「子供の科学」の創刊は、1924(大正13)年、関東大震災の翌年だ。今年で85年になる。ちなみに、「文藝春秋」の創刊が1923年と1年早いだけだ。恐らく、今も刊行している子供向け雑誌としては、一番古いのではないだろうか。

 85年もの間、「子供の科学」を支えたものは何だったのだろう。