(英フィナンシャル・タイムズ紙 2023年5月4日付)

他人のカネで優雅な生活を送っていることが明らかになった米最高裁のクラレンス・トーマス判事(2022年10月7日撮影、写真:ロイター/アフロ)

 米ワシントンの木を見て森を見ない愚かさの一例がここにある。

 倫理規定を恐れる連邦政府の職員は、額がどれほど小さくても、ランチ代以外の費用を割り勘にする。

 一方で、米最高裁判所の判事は母親の家を含めて何百万ドルもの贈り物ともてなしを受けながら、その事実を開示せずに済むと感じている。

 しかも贈り物や便宜が明らかな思惑を抱く大口献金者からのものであるにもかかわらず、だ。

 米国の最高裁から終身制の判事を罷免するのはほぼ不可能だ。一体誰が裁判官を裁こうとするだろうか。

裁判官はアンパイアのはずが・・・

 何の責任も問われない最高裁以上に米国の民主主義の脆さを見事にとらえるものはない。

 庶民は国の議員を罵り、大統領に架空の生卵を投げつけ、メディアを軽蔑するかもしれない。しかし、法が尊重されている限り、制度は守られる。

 最高裁長官のジョン・ロバーツがかつて、判事はアンパイアのようなものだと言ったのは有名な話だ。

「アンパイアはルールを作らない。ルールを適用する」

 バイアスがかかった審判を許す野球ファンは誰一人いない。

 米国民の過半数が今、米国の最高裁判所は八百長試合だと見なしている。

 国民心理の転換は劇的だった。米ギャラップの世論調査によると、3年近く前には米国人の58%が最高裁の仕事ぶりを評価していた。

 2022年になると、この数字が40%に低下し、米国史上最低タイを記録した。この評価の低下には3つの原因がある。