(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 中国で犬を食べたことがある。蚕も食べた。それも繭を作る前の這っている幼虫だ。それが中国ではご馳走だった。その話をする。

食品加工工場もこぞって中国進出

 日本経済にデフレがやってきた1990年代の終わりから、日本企業が盛んに取り組んだのが「開発輸入」だった。海外に立ち上げた工場に、日本の優れた生産技術を持ち出し、現地の安価で豊富な労働力と資源を使って製造した製品を日本に輸入する。コストが安い分だけ価格も低く抑えられる。

 食品産業も例外ではなかった。そこに冷凍技術の向上もあって、冷凍食品メーカーは積極的に海外に工場を立ち上げる。

 折からのデフレは、外食産業にも客を惹きつける安さと魅力が求められた。海外で加工された食品や食材が、そのままレストランで提供されたり、コンビニ弁当になったり、家庭向けに店頭でまとめ売りされたりした。

 そこで日本企業の多くが向かった先が、改革開放政策を推し進めていた中国だった。その中国でも、日本の食品加工工場の進出が目覚ましかったのが、山東半島だった。