与那国島最西端の岬・西崎(いりざき)に立つ「日本最西端の碑」(写真:ロイター/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 日本の領土のもっとも西の端に位置する沖縄県の与那国島。晴れた日には、そこからわずか110キロほど離れた台湾を肉眼で見ることができる。中国が台湾に軍事侵攻すれば、与那国島をはじめ先島諸島が戦域に入って、日本が巻き込まれる可能性が高いことは、すでに日本国民の多くが知るところだ。

 そんな与那国島は、実は台湾との歴史的関係も深いことを、どれだけの日本人が知っているだろうか。

与那国のお年寄りがきれいな日本語を話していた理由

 私がこの島をはじめて訪れたのは、1990年代の後半、まだ20代の頃だった。そこで驚かされたのは、島の高齢者の人たちが“きれいな日本語”を話したことだった。

 たとえば、島の小さな食堂に入ると、地元でいう「おばあ」が電話で話していた。それが地元の方言で勢いはいいが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。まるで外国語のようだった。ところが電話を切って、私に向かうとまったく別の言葉で話しかけてきた。

「お食事ですか? 八重山そば食べる? 沖縄本島とはまた違って、おいしいよ」

 優しい語り口だった。そのギャップに驚かされた。つまり、土地の言葉と、どこへ行っても遜色のない日本語を使い分けることができていた。

 因みに、「八重山そば」とは、広く括れば一般的に「沖縄そば」のことだが、言葉通り沖縄本島のそれとはまた違っていた。先島諸島それも八重山地方では、麺は丸みをおびていて少し細くて縮れもない。出汁の取り方もまた少し違うようだ。沖縄の離島の人たちは区別して「八重山そば」と言った。

 この島の高齢者の多くが訛りのない、きれいな日本語をしゃべったのは、台湾の影響だった。