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(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)

 冬の電力危機が迫る中で、電力業界に異常事態が相次いでいる。大手電力会社が3割から4割という大幅な規制料金の値上げを発表する一方で、新電力の2割が事業停止に追い込まれ、政府による救済を求めている。

 他方、公正取引委員会は、カルテルを結んでいたとして中国電力など3社に合計約1000億円の課徴金の納付を命じた。他のエリアの電力会社との価格競争を制限したという理由である。電力自由化が、誤った制度設計による過当競争で自壊したのだ。

民主党政権の人気取りに経産省が乗った

 電力自由化が始まったのは、1980年代に英米で通信自由化が成功し、市内回線と分離された長距離回線に新規参入が増えたことがきっかけだ。電力自由化もイギリスのサッチャー首相が始め、通信にならって発送電分離が原則だった。

 実際にはイギリスの電力自由化で電気料金は下がらず、アメリカ各州で行われた自由化では、カリフォルニア州の大停電など、供給が不安定になっただけで、電気料金はほとんど下がらなかったのだが、世界的な「新自由主義」のブームの中で電力の民営化・分割が進められた。

 日本では、大企業向けの「高圧」部門では自由化が進んだが、家庭用の「低圧」部門は大手電力(一般電気事業者)の独占が続いていた。経産省は発送電分離しようとしたが、東電の強い政治力に阻まれた。これを分離する動きが始まったのは、民主党政権時代だった。

 2011年の福島第一原発事故で計画停電が起こったことをきっかけにして、民主党政権の「電力システム改革タスクフォース」ができた。計画停電が起こったのだから、供給の安定を目指すはずだったが、経産省にとっては積年の願望だった発送電分離を実現するチャンスだった。

 この方針が安倍政権でも受け継がれ、2013年に「電力システム改革方針」が閣議決定された。その柱は、次の3つだった。

 1.広域系統運用機関の設置
 2.小売りの全面自由化
 3.送配電部門の法的分離

 この順に自由化が行われ、2016年に全面自由化され、旧一電(旧一般電気事業者)も新電力も同格の発電事業者として自由に卸価格を設定できるはずだったが、実際にはそうならなかった。旧一電は(暗黙の)供給義務を負わされ、料金規制がかけられたからだ。