解雇に反対する金融機関の従業員たち(1997年12月2日、写真:ロイター/アフロ)

「この時期になると毎年、あの時を思い出す。今年は経済が悪化していてさらに心配だ」

 最近、昼食を一緒した元経済閣僚はため息をついた。韓国がIMF(国際通貨基金)管理に置かれてから25年が経った。

 1997年12月3日、韓国の経済副首相と急遽日帰り訪韓したIMFの専務理事が、210億ドルの緊急融資で合意したと発表した。

 さらに、日本、米国、アジア開発銀行(ADB)などからも緊急融資を受けることが決まった。総額550億ドルの緊急支援策だった。

 この瞬間、韓国はIMF管理下に入ることになった。

「国が倒産した日」

 政府関係者や大企業の経営者は今でもそう呼ぶ。あれからもうすぐ25年になる。

朝鮮戦争以来の国難

「朝鮮戦争以来の国難」(金大中=キム・デジュン=元大統領)」とまで言われたIMF危機とは何だったのか?

 東南アジアで始まった通貨金融危機の嵐は1997年秋に韓国ものみ込んだ。

 この年の春頃から鉄鋼メーカー、流通企業、食品メーカーなど有名企業の経営危機は相次いだが、東南アジアで起きたような「危機」が来ると予想する声はほとんどなかった。

 夏から秋にかけて起亜自動車(現在の起亜)の経営悪化が表面化すると、株安、ウォン安がさらに進み、他の企業の業績もさらに悪化、さらにこうした企業と取引がある金融機関の資金繰りが悪化する「負の連鎖」が始まった。

 1990年代後半の韓国経済は堅調だった。財閥、大企業、中堅企業は競って業容拡大を続けた。

 目いっぱい借入金を増やして成長、拡大戦略のアクセルを踏み続けた。