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「チェゲト」と呼ばれる、ロシアの「核のブリーフケース」。この中に発射ボタンはないという。写真のケースは1990年代にエリツィン大統領が使用した物で、現在はエリツィン博物館蔵(Stanislav Kozlovskiy, CC BY-SA 4.0

(文:古本朗)

ロシア・ウクライナ戦争の開戦以来、常に最大の懸念となっているロシアの核使用。だがプーチン大統領には、現実には「使えない」事情も存在する。

 隣国ウクライナに軍事侵攻したウラジーミル・プーチン露大統領が、戦場での劣勢挽回などを狙って核兵器使用の威嚇を繰り返したことで、国際社会の緊張は、米政権が米露核衝突の「アルマゲドン(終末戦争)の危機」に言及するほど高まっている。

 だが、一方でクレムリンの城壁内からは、核使用への執念と同時に、少なくとも現時点では、逡巡と自信喪失の気配も漏れ出ている。核のボタンに指をかけた独裁者に最後の決断をためらわせる事情とは何なのだろうか。

「アルマゲドンに近づいた」ロシアの核恫喝

「キューバ核ミサイル危機以来、我々がこれほどアルマゲドンに近づいたことはない」――ジョー・バイデン米大統領は10月6日、民主党支援者の会合で演説し、キューバへのソ連核ミサイルの配備をめぐり米ソが核戦争の淵に立った1962年の危機の歴史と、プーチン政権による核の威嚇で生起した現情勢を同列にみなし、米国内外に衝撃を走らせた。

 米大統領にここまでの危機認識を抱かせたのは、言うまでもなく、2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻開始を機に相次いだ、露大統領や側近たちによる数々の核恫喝発言だ。

 例えば、プーチン氏は侵攻開始の3日後、セルゲイ・ショイグ国防相らに対し「核抑止部隊の警戒レベル引き上げ」を命令。東部ハルキウ州の大部分を奪回したウクライナ軍の反転攻勢に押される格好で、9月21日に予備役将兵の部分動員を発表した際のテレビ演説では、「国家と国民の防衛のためあらゆる手段を行使する」と核使用の構えを示唆し、「これは虚勢ではない」と凄んで見せたのだ。

「核使用決定」か「断念」か

 実のところ、ロシアの専門家の間でプーチン氏の核使用の覚悟について評価は割れている。クレムリンのインサイダー情報発信でホワイトハウスなど欧米政権から注目される政治学者ワレリー・ソロヴェイ氏は10月19日配信の動画インタビューで、「露大統領は低威力の核兵器を使う決定を既に下した。彼は、西側の警告で怖気づいたりしない」と断言。「核の威力でデモンストレーション効果を狙うのではなく、直接、戦場の兵器として用いる気だ。攻撃目標にはドニプロ川に架かる橋梁が含まれる」と述べ、核攻撃決行の時期として「春」の可能性も挙げた。

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