天皇が崩御されると、その柩を担ぐのは、伝統的に京都・八瀬村(現・京都市左京区八瀬)の住民「八瀬童子」だった。昭和天皇の大喪の礼では、八瀬童子の装束を着た皇宮護衛官が柩を担いだ(写真:橋本 昇)
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(フォトグラファー:橋本 昇)

 イギリスBBCを通じて配信されたエリザベス女王の荘厳な国葬の様子は、世界中に人々に、イギリス王室が受け継いできた様式美を強く印象付けた。

 日本人の中には、エリザベス女王の葬儀を見て、昭和天皇の「大喪の礼」の記憶を思い起こした人も多いのではないだろうか。

 とは言っても、大喪の礼が行われたのはいまから33年前。リアルタイムでの記憶がない若い世代も増えている。そこで、1989年2月24日に執り行われた、昭和天皇の「大喪の礼」と当時の世相を、当時の写真とともに振り返ってみたい。

皇居から新宿御苑までの沿道に20万人の人々

 大喪の礼とは天皇の崩御に伴って執り行われる国事行為たる皇室儀礼であり、国葬だ。その儀式は、まさに皇室が受け継いできた伝統美に溢れるものだった。

 葬儀は伝統にならって厳かに執り行われた。もちろん、現代的に変更されたところもある。伝統では天皇の柩は牛車で運ばれるのだが、それは轜車(霊柩車)に変更された。

 皇居から葬場殿が造られた新宿御苑までの沿道で、葬列を見送り、柩を乗せた車に手を合わせた人々の数はおよそ20万人にも上ったという。

1988年の新年一般参賀で国民に手を振る昭和天皇。一般参賀ではこのお出ましが最後となった(写真:橋本 昇)
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