真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊への奇襲で太平洋戦争の火蓋は切られた

 現代の国際社会において、侵略されたら反撃する自衛権は国際社会で容認されている。

 だが、釈迦は「この世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。これは永遠の真理であると説く。『真理のことば・感興のことば(翻訳:中村元 岩波文庫)』

「怨み」が「怨み」を生み、「怒り」が「怒り」を生み、「憎しみ」が「憎しみ」を生む。

 それらが連鎖しながら拡大することで、争いが絶え間なく続く。

「怨み」「怒り」「憎しみ」を鎮めなければ、平和は永遠に実現することはない、と釈迦は示している。

8月15日の玉音放送で日本は戦闘を停止

 終戦の日、8月15日は戦没者を追悼し平和を祈念する日とし、日本政府は毎年、全国戦没者追悼式を主催している。

 いまから77年前、1945年7月26日。英国、 米国、中華民国が日本に対して降伏要求の最終宣言(ソビエト連邦は後から加わり追認)を発する。

 その11日後の8月6日、広島市に原子爆弾が投下された。

 米国のフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領、ソ連のヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン書記長、英国のウィンストン・チャーチル首相との間で交わされた秘密協定「ヤルタ密約」により、8月8日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告する。

 翌日9日にはソ連軍は約150万人の兵力を動員、大量の戦車や航空戦力で日本軍を圧倒、日本の勢力圏だった満州国と朝鮮半島北部を制圧した。

 そして、8月9日、広島に続き長崎にも原子爆弾を投下。