(英フィナンシャル・タイムズ紙 2022年6月21日付)

世界から切り離されたモスクワはどのように枯れて行くのだろうか

「ロシアの制裁リストに載って、おめでとう&ご愁傷様」

 同僚からそんなメッセージが届いた。筆者は自分がクレムリンの敵対者リストに載り、ロシアへの入国を禁じられたことをこの一文で知ることになった。

 前回の訪問が最後だったかもしれないのかと思うと、1987年にロシアを初めて訪れた時のことを振り返らずにはいられなかった。

 ロシアはぐるりと一回りして振り出しに戻ったような感じがする。ソビエト時代の特徴だった独裁、攻撃、孤立に回帰したということだ。

ソ連末期のモスクワの思い出

 1987年にソビエト連邦は末期を迎えていた。もっとも、当時はそうだとは気づかなかった。

 筆者は米国とソ連の兵器削減交渉を取材するためにモスクワにいた。

 現地の特派員たちにとっては、民間経営のレストランがこの国に初めてオープンしたことが大きなニュースだった。

 いろいろなことが変わりつつあり、当時のソ連の報道官、ゲンナージ・ゲラシモフの冗談半分と言ってもよさそうな振る舞いにも変化が反映されていた。

 後にソビエト帝国主義の終わりを事実上発表した時にジョークを用いたのは、いかにもゲラシモフらしいやり方だった。

 ソ連はそれまで、各国がクレムリンの勢力圏内にとどまるようにするために隣国を侵略する権利があるという「ブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)」を唱えていた。

 1989年、ブレジネフ・ドクトリンはまだ適用されるのかと問われたゲラシモフは、あれは「シナトラ・ドクトリン」に切り換えられたと答えた。

 今後はそれぞれの国が「マイ・ウェイ」を歩めばよいというわけだ。