文=中井 治郎 

京都芸術センター(旧明倫小学校)

 先日のこと。僕にしてはめずらしいところでランチを楽しんだ。鴨川ごしに東山を一望できるホテルの高層階にあるイタリアン・レストランである。

 ふと思いついて前日に予約したのだが、その日のランチタイムの予約枠はちょうど最後のひとつだったとのこと。平日の午後にもかかわらず満席である。どうやら盛況のようだ。

 いずれにせよ、僕の暮らしではこんな「キラキラ」な機会はそうそうあるものではない。これみよがしな写真を撮って抜け目なくSNSに上げる。すると、そのホテルの以前の姿を知っている人々から、いくつか驚きのリアクションが返ってきた。

「え!!これ立誠小!?こんなオシャレになってんの!?」

 そうなのだ。贅沢すぎる眺望でSNSを制するこの「オシャレ」なホテルは、もともとは小学校だったのだ。ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC。築100年のノスタルジックな校舎が市民に親しまれていた町の名物小学校、立誠小学校の生まれ変わった姿である。

 

「学区」と京都っ子

 いつもとはちがう町を歩いていると、向こうからやってきた「兄ちゃん」とうっかり目が合ってしまう。

「あ、失敗した……」と反省する間もなく、彼はまっすぐにこちらに向かってくる。そして十分すぎるほど距離を詰めたあと、たとえば、このようなことを問うのだ。

「……おまえ、何中や?」

 僕が育った20世紀の大阪では、これは出会い頭の挨拶というよりもむしろ警告射撃のような問いかけであった。それにしても、なぜいざ事を構えるというその前にまず出身中学の確認をしなくてはいけなかったのだろうか。

 それはもちろん、「よそもの」かどうかを判別するためである。出身中学を確認することで、この界隈の人間か、それとも排除すべき闖入者かどうか判別するのだ。

ローカルなアイデンティティの在り方を示すひとつの例とはいえ、若者文化やヤンキー文化というある種のインフォーマルでアウトローな世界での縄張りが公的な義務教育の枠組みと重ねられているのは、よく考えると不思議なものである。

 さて、京都ならどうだろう?

 実は京都の場合、より重い意味を持つのは「何中か?」ではなく小学校なのだ。正確には小学校の「学区」である。

 つまり、かつてあった番組小学校という京都特有の小学校制度における単位であった学区が、現在でも「元学区」として(もちろんヤンキー文化ではないが)自治会や各種の行事などそれぞれの地域の「縄張り」の範囲として現在でも現役で機能しているのである。