釈迦の仏教は人の生涯は苦がつきまとい、現世に対しての否定という理論にもとづいている。だが、空海の密教は、それまで仏教では存在しなかった全面的な肯定を主張する

空海とは何者か

 今日、6月15日は弘法大師空海の生誕1249年の日である。

 ありがたやたかののやまのいはかげにだいしはいまもおはします

とは、天台宗総本山、比叡山延暦寺座主・慈鎮和尚が詠ったものだが、弘法大師空海は真言宗だけでなく、宗派を超えて親しまれている。

 かつて、内閣総理大臣や貴族院議長を務めた近衛文麿が高野山に登り、近代真言宗の高僧・金山穆韶(ぼくしょう)師に空海の廟所である奥の院を案内されたことがある。

 その際、金山老師は「弘法大師は835年3月21日に亡くなったのではなく、今も高野山に入定して衆生済度のために生きて活動を続けているのであり、その肉体は未来に復活することになっている」と説明した。

 近衛はそれを笑い飛ばした。すると、その日の夜、金山師は近衛を訪ねると空海の入定について再び説いて聞かせた。

 あとで近衛は従者に「よく分からないが、老師の努力と信念には感心した」と語った。

「お大師さまは、まだ死んでいない」というのは、真言宗の信者が抱く弘法大師に対する信仰の深さを代弁するものであろう。

 空海については多くの伝説がある。

 だが世間では「いろは詩」が空海の作といわれるなど、全国に遍在する大師伝説は実は事実とは異なるものもある。

 そうした話は空海の正しい姿を歪めているという人もいるが、それらは弘法大師の偉業を慕う善意により生まれたことは確かである。