学歴や出世が「偉さ」のシンボルだったサラリーマン社会だが……

(太田肇:同志社大学政策学部教授)

 アルバイト店員がいたずら動画をSNSにアップしたり、インスタで“リア充”をアピールするため高価な化粧品を買ったり、たいして興味もないのに海外旅行に出かけたり。若者の「承認欲求」がひところ顰蹙を買った。ところがコロナ禍の外出自粛で承認欲求が満たせなくなり、ストレスを強く感じる若者が増えているそうだ。

 注目すべきなのは、それが若者に限った話ではないということである。サラリーマンの間にもいま、「承認欲求の危機」が起きている。拙著『日本人の承認欲求』(新潮新書、2022年4月発売)で詳しく述べたが、その原因は「見せびらかし」という日本の組織・社会に特有の文化にある。

 では、その「見せびらかし文化」に浸ってきた日本のサラリーマンに、今後どんな運命が待ち受けているかを考えてみよう。

出世の「偉さ」を見せつけられる場

 承認欲求は人間にもともと備わっている欲求の一つである。心理学者のH・A・マズローはそれを二つに分けている。一つは自分の価値を認めようとする「自尊の欲求」であり、もう一つは他人から尊敬されたいという「尊敬の欲求」である。

 このうち尊敬の欲求が、日本人は独特な形で表れる傾向がある。自分の「偉さ」を他人に見せびらかしたいという意識である(無意識の場合もあるが)。

 その「偉さ」のシンボルとしてとくに重要なのが、肩書きや学歴だ。そもそも「偉い」という言葉には人格的な要素が多分に含まれているが、肩書きや学歴は人格の根幹部分と深く関わっているからである。

 出世、すなわち社内で高い地位に就いた者は企業社会における競争の勝者である。しかも日本企業では、仕事の能力や実績だけでなく人格的にも優れていると認められた者が昇進する。そのため地位の序列は、暗黙のうちに人格的な序列と世間から見なされる傾向がある。

 会社のOB会や学校の同窓会でも、だんだんと出世した者ばかりが参加するようになり、昔話を肴に成功の美酒を味わう。会社とは無関係のPTAや町内会も、会社や役所で出世した人が役員に就くようお膳立てされていて、彼らの名誉欲をくすぐる場になっている。

 当然ながら出世した人にとっては、自分の「偉さ」を見せつけられるこれらの場は居心地がよく、それが生きがいや働きがいにもなる。