激戦地となったウクライナのホストメリで動物のシェルターを運営するアーシャさん(2012年10月撮影、息子のシュマトクさん提供)

[ロンドン発]「戦争が始まってウクライナにいる家族や親戚にイギリスに避難して来ないかと勧めたが、みんな祖国にとどまった」

 ウクライナ・ドニプロ出身でイギリス在住の共同経営者アレクサンドル・シュマトクさん(49)の母アーシャ・セルピンスカヤさん(77)も首都キーウ(キエフ)北西のホストメリに残った。

*【前回】「平和な国から戦火の祖国へ、後戻りできない道を男たちは歩いていった」<https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70026

開戦の朝、母は動物のシェルターに向かって走り出した

 アントノフ国際空港に近いホストメリはロシア軍が兵士や武器、弾薬を空輸する兵站の要衝とみなしていたため、開戦初日の2月24日から激戦地になった。「午前7時(現地時間)に父に起こされた母は、キーウからホストメリの“シェルター”に向かった。4月初めにウクライナ軍が奪還するまでロシア軍の占拠下、シェルターで過ごした」とシュマトクさんは言う。

 多くの住民が拘束され、ロシアの同盟国ベラルーシに移送される中、アーシャさんが危険なホストメリに留まったのには大きな理由があった。アーシャさんが向かったシェルターはロシア軍の空爆や砲撃から自分の身を守る防空壕ではなかった。人間に虐待され、捨てられたペットを引き取って育て、新しい飼い主を見つける「動物のシェルター」だった。

 20年以上前、数学の大学教授を退官したアーシャさんは、キーウの自宅を担保に資金を借りホストメリの農地に老朽化した牛舎を購入した。そしてボランティアと一緒に保護された動物のシェルターを始めた。「母は全ウクライナ動物保護団体の会長を務める一方、ホストメリのシェルターでイヌ600匹とネコ400匹を保護していた」とシュマトクさんは語る。

激戦地となったウクライナのホストメリで動物のシェルターを運営するアーシャさん(2012年10月撮影、息子のシュマトクさん提供)