佐世保港に入港した米攻撃型原潜「アレクサンドリア」(4月18日、米海軍のサイトより)

 国家を支えるのは時々の国民であり、それ以外の誰でもない。

 人も組織も国家の安全と生存が確保されてこそ、それぞれが目指す価値の追求ができる。繁栄も福利も文化も、国家の安全が保障されなければ何一つ実現できない。

 ウクライナの惨状はそれを如実に示している。

 しかし戦後の日本では、国家を権力としてのみとらえ、しかも国民(人民)に対する抑圧機関として敵視する共産主義の国家観が、言論界、教育界を支配してきた。

 そのような国家を敵視する教育とメディアによる洗脳が占領期以来77年にわたり続けられてきた。

 その結果、現在の日本では、国家の主権と独立が脅かされたときに、個々の命を危険にさらすことを覚悟して武器を持って抵抗するとの意思を表明する日本国民は、いまだに1割強に過ぎない。

 世界最低レベルである。世界では通常、老若男女を問わず6割から7割の国民が武器を持って戦うと答える。

 米国の核の傘も当てにできない。1994年、ウクライナが千数百発の核弾頭をすべてロシアに引き渡すことに合意した際、米英露、後に中仏もウクライナの安全を保障すると約束した。

 しかしジョージアやクリミアをロシアが実質的に武力併合しても、米英仏中はロシアの核恫喝に対抗して自国の核戦力を展開しウクライナの安全を保障する拡大抑止行動はとらなかった。

 今回のロシアによるウクライナ侵攻でも、米英はじめNATO(北大西洋条約機構)加盟国は、ロシアとの核戦争にエスカレートするのを恐れ、国土奪還に不可欠な戦闘機や戦車をウクライナに供与するのを躊躇している。

 核も通常戦力も拡大抑止は当てにならないことが、ウクライナ紛争で明白になった。

 しかし戦後日本は、米国の拡大抑止に依存し、長らく、自らの真摯な防衛努力を怠ってきた。

 日米同盟も日本自らが戦い自らを守る覚悟を実力で示さなければ、米軍の来援は期待できない。そのことは、米軍のアフガニスタン撤退でも明らかになった。

 しかも日本列島全体が中露、北朝鮮の各種核ミサイルにより狙われており、米軍はまずこれらのミサイル脅威を排除してからでなければ、米空母は日本に来援できないとみている。

 それを前提にした戦略に米軍はすでに転換している。