(英フィナンシャル・タイムズ紙 2022年4月11日付)

2003年にニューヨークを訪問した際、ウラジーミル・プーチンは投資家との会合で、西側の資本主義者と関与する意思がある経済改革派として自身を売り込み、ロシアはただの石油国家ではなく、「普通の欧州国家」の価値観を共有していると語った。
プーチンがウクライナに侵攻した今、こうした言葉は空しく響くが、当時は本心を語っているように思えた。
1990年代終盤に金融危機と国債デフォルト(債務不履行)によって打ちのめされていた国を引き継ぎ、民営化と規制緩和を推し進めていた。一律13%の所得税を導入し、米国の保守派の心をつかんだ。
石油価格の追い風を受け、一連の改革はロシアの所得増加に貢献し、国民1人当たりの所得は2000年のプーチン政権の発足当初の2000ドルから、2010年代初頭の1万6000ドルへと急増した。
だが、権力と成功がプーチンを変えた。
その他の新興国の首脳とは異なり、プーチンはまもなく外国のファンドマネジャーと会うのをやめた。
ある側近は筆者に、そうした会合は「中小規模の国」がやることで、米国やロシアのような大国がやることではないと言った。
権力と成功を手にして人が変わった
筆者は2010年、プーチンも出席する会議でロシア経済に対する「率直」な評価を語るようモスクワに招かれた。
会議がテレビ放映されていることに気づかず、招待の言葉を額面通りに受け止め、ロシアの成功は持続するのが難しいと話した。
中所得国として進歩するためには、ロシアは石油以外に手を広げ、大手国営企業への依存度を下げ、蔓延する汚職と戦わなければならない――。