日本が韓国の謝罪要求に応じて謝罪と補償を繰り返す中で、それが韓国の惰性になったと筆者は指摘する(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

(ファンドビルダー:韓国コラムニスト)

 特定の行動を繰り返せば、それは習慣化する。ひとまず習慣化すれば、その行動は無意識に(自動的に)なりやすい。すなわち、慣性ができるのだ。慣性による行動は、止めるのが難しい。韓国が日本に謝罪を要求して、日本が謝罪するという現象は、このような慣性における行動パターンの典型だ。

 日本はこれまで、韓国に対して天皇、首相、官房長官などの名義で謝罪を何度も繰り返してきた。世界的に見て、特定国が特定国に向かって、国家の次元による謝罪をこれほど数多くしたケースはほとんど例がない。それでも、今日の韓国政府と韓国人は満足せずに、相変らず日本に向かって「謝罪しろ!」と要求している。

 このような韓国の態度は、あたかも債権者が債務者に向かって、法的な取り立てをするのに似ている。しかし、これまで韓国が謝罪を受けたのは、韓国に法的権利があったためでは決してなかった。日本は、韓国に謝罪しなければならない法的義務は全くない。日本はその間、道義的な次元で謝罪したのだ。

 明らかなのは、誰も韓国に「謝罪を要求する権利」を与えたことがないという点だ。同じように、誰も日本に「謝罪する義務」を課したことはない。

 過去、韓国(朝鮮)は日本に併合された。当時の韓国は、日本と戦争をしたわけではなかった。戦争をした場合ならば、戦勝国と敗戦国に区分され、敗戦国は戦勝国に向かって謝罪したり、賠償金を支払うことが普通だ。ところが、韓国は戦勝国でもないのに、今まで何度も日本から謝罪を受け、補償も受けてきた。運が良い方だ。だが、運が良いといって、分別をわきまえない行動をしてはならない。

 残念なことに今日の韓国は、あたかも自身が戦勝国にでもなったかのように行動する。債権者でもあるかのように、日本に向かって常に高姿勢で叱り飛ばす。今日の韓国人は、あたかも自分が生まれた時から、「謝罪を受ける権利」のようなものを、天から与えられたかの如く行動するのだ。