(英エコノミスト誌 2021年11月13日号)

国内の抑圧はいずれ西側との対立に至る。
旧ソビエト連邦の物理学者で反体制活動家だったアンドレイ・サハロフは、国内の抑圧は例外なく国外の不安定性になると語っていた。自身の生涯がその証拠だった。
国内流刑の憂き目に遭っていたサハロフは、1986年にミハイル・ゴルバチョフ氏によって流刑を解除された。
ゴルバチョフ氏と言えば、グラスノスチ(情報公開)の主導者として政治犯を釈放し、言論の自由を容認したソ連最後の指導者だ。
同氏の抑圧の拒絶と東西冷戦の終結が同じ時期に起きたのは、偶然ではなかった。
そして今、サハロフ氏の説が再び立証されつつある。ただし、今度は方向が逆だ。
ロシアの人権団体「メモリアル」によれば、同国で身柄を拘束されている政治犯の数はソビエト時代末期の2倍以上にのぼる。
ソビエトの人権侵害を記録するためにサハロフの手も借りて立ち上げられたメモリアル自体も、今では「外国のスパイ」のレッテルを貼られており、国家の資金援助を受けた暴漢から攻撃を受けている。
それと同時に、ロシアと西側諸国との関係も暗い時期に入っている。
ウラジーミル・プーチン大統領は国内での抑圧を正当化するために、西側の政策はロシア流の生活様式を消し去るために策定されていると国民に訴えている。
今では西側との関係に冷戦時代の対立を組み込んでいる。西側の政治指導者は、この次にやってくるものに備えねばならない。
抑圧の新たな局面
抑圧の最新局面は2020年、ロシアで最も有名な政治犯で、先月には欧州議会から「思想の自由のためのサハロフ賞」を授与されたアレクセイ・ナワリヌイ氏の毒殺未遂で幕を開けた。
ナワリヌイ氏は一命を取り留めたものの、ロシアでもトップクラスの過酷な刑務所「第2矯正労働収容所」に収監され、虐待を受けている。
それ以来、ナワリヌイ氏の組織は非合法化され、スタッフの大半が国外に追い出された。国内に残った人も追われている。
11月9日にはリリア・チャニシェワ氏が逮捕され、組織がまだ合法だった時期にナワリヌイ氏のために働いていたことを理由に懲役10年を求刑されている。
抑圧の網は政界の外にも広がっている。