私が伝え聞いた話は、以下の通りだ。10月21日、李は出張先から北京首都国際空港の第2ターミナルに降り立った。そこでいつものように、三里屯(ユニクロの北京総本店などがあり「北京の原宿」と北京在住の日本人が呼んでいる繁華街)にある「店」に、スマホで予約を取った。

 そこは、1回1万元(約17万8000円)もする地下組織の高級売春クラブで、李雲迪はいつも実名のスマホ決済で精算していた。そして「行為」に及んでいる最中に、警察に踏み込まれて「御用」となったというわけだ。

ショパンコンクール優勝、18歳が起こした奇跡

 李雲迪は、1982年10月7日に内陸部の重慶で、庶民の李川氏の長男として生まれた。幼少時からアコーディオン演奏が好きで、4歳の時には四川省少年少女アコーディオン大会で優勝した。7歳の時に、両親が中古のアップライトピアノを買ってやり、ピアノを習い始めた。

 2年経って頗る進歩を見せ、本人も「将来はピアニストになりたい」と言い出した。そこで、両親は四川音楽学院の著名な但昭義教授のもとに連れて行った。但教授は「年を取りすぎているし、手も小さい」と言いながらも、演奏を聴いて個人レッスンを引き受けた。数年後、北京にある中国最高峰の中央音楽学院付属中学を受験したが、不合格。四川音楽学院の付属中学に入学し、引き続き但教授についた。

 1995年、李雲迪はアメリカのストラビンスキー・ピアノコンクールに挑戦し、少年少女部門の3位に輝いた。香港経由で帰国し、深圳に立ち寄った時、但教授ともども、深圳芸術学校への入学を勧誘される。学費免除どころか、住居を提供し、国際コンクールの参加費用もすべて持つという条件で、李雲迪と但教授は深圳芸術学校に「転校」したのだった。

 それから5年経ち、「奇跡」が起こった。世界のピアノ界でまったく無名の深圳芸術学校に通う18歳の李雲迪が、第14回ショパン・コンクールで優勝したのである。前回と前々回は「優勝者なし」だったから、実に15年ぶりの優勝者だった。