岸田文雄首相(写真:ロイター/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 10月14日、岸田文雄首相は衆議院を解散した。19日公示、31日投票の日程で衆議院選挙が行われる。

 今回の選挙は異例尽くしである。昨年夏から振り返ってみよう。

自らの辞任で後を引き継いだ菅を、安倍は守り抜こうとしなかった

 昨年8月28日、安倍晋三首相は、持病の潰瘍性大腸炎の再発を理由に突然退陣を表明した。その後に行われた自民党総裁選では、菅義偉官房長官が、岸田、石破茂の両氏を抑えて圧勝し、後継首相となった。

 私は、第一次安倍改造内閣で厚労大臣に就任していたが、2007年9月12日、代表質問が行われる本会議開始直前に安倍首相の辞任の一報が入った。与謝野馨官房長官ら国会の控え室にいた閣僚の誰一人として事前に知らされている者はいなかった。私をはじめ、皆、テレビのニュースでそのことを知ったのである。持病でお腹の具合が悪いならば国会答弁もできないので致し方なかったし、そのときの安倍首相の体調の悪さは一目瞭然であった。

 ところが、昨年の突然の辞任は、14年前とは異なり、外見からは体調が悪いとは見えなかった。むろん個人の健康状態を他人が見て外見で判断できるわけではないし、憶測は避けたいが、その後の安倍の動きを見ても、とても病人とは思えないほど活発であった。私には、持病の再発ではなく、何か別の理由があったように思われてならないのである。

 恐らく菅義偉にも寝耳に水の話だったし、後継首相を務める準備など何もしていなかったと思う。ある意味で貧乏くじであり、新型コロナ感染の拡大は、まさにその通りとなり、万策尽きて1年で政権を離れることになってしまったのである。