文=酒井政人

2021年8月8日、東京五輪、男子マラソンでの大迫傑。写真=西本武司/アフロ

日本勢9年ぶりの入賞を果たす

 男子マラソンは「オリンピックの華」といわれる。大会最終日の午前中に行われるレースは特別なものだ。東京五輪は朝7時にスタートが切られた。

 世界記録保持者であるエリウド・キプチョゲ(ケニア)の「雄大」ともいえる走りに度肝を抜かれた方も多いだろう。非公認レースでサブ2(2時間切り)を果たした〝生きる伝説〟は30.5㎞でスパートを放つと、そのまま独走した。絶対王者は42㎞付近で一度だけ後ろを確認すると、ウイニングランを楽しむかのように残りの距離を駆け抜けて、栄光のゴールに飛び込んだ。

 優勝タイムは2時間8分38秒。106人中30人が途中棄権した過酷なレースをキプチョゲだけは悠々と走破して、五輪連覇を成し遂げた。

 日本人では大迫傑の「ラストラン」が感動的だった。これまでの戦いと同じように、前半は集団後方で静かにレースを進める。トップ集団は徐々に削られていき、30㎞通過時に11人になった。キプチョゲが飛び出した後は8~9番手に振り落とされるも、終盤にドラマを見せる。

 大迫は前の選手たちを単独で追いかけていく。35㎞通過時で2~5位の選手とは21~24秒差、6位の選手と9秒差、7位の選手と7秒差だった。そこから36㎞手前で2人をかわして6位に浮上した。4人の2位集団も約100m先に迫っていた。

 メダルに近づけるのではないか。多くの日本人が大迫とともに〝同じ夢〟を追いかけた。表彰台は逃したが、2時間10分41秒の6位でゴールを迎えて、日本勢9年ぶりの入賞を果たした。

ゴール直後の大迫。写真=YUTAKA/アフロスポーツ

 レース後のインタビューでは、「応援をしてくれた人たちや協力してくれた方々に感謝の気持ちをこめてやり切ったという思いを走りで表現しました。痛みとの戦いだったんですけど、順位はどうであれ、最後までしっかり走り切れたことに関しては、自分に100点満点をあげたいです」とタオルで顔を抑えながら声を震わせた。

 終盤は右脇腹の痛みだけでなく、39㎞付近では脚もつりそうになったという。それでも大迫らしく力強く、誰よりも冷静に最後まで駆け抜けた。

「無理に3位以内を狙ってしまうと大きく崩れる心配がある。一つひとつ自分の対応できる範囲で身体と相談しながら走りました。最後はきつくて、6位に上がった後も前を追いかけたんですけど、15秒差くらいから縮まらなかったので、確実に6位で粘り切ろうと走り抜きました」

 

日本人で初めてナイキを着用

 大迫は中学時代から「強くなりたい」という熱い思いを抱いてきた。夢をかなえるための〝最短ルート〟を探して、一直線に突き進んだ。大胆なチャレンジを30歳まで続けてきた。

 高校は東京から長野・佐久長聖高校に進学。丸刈り頭で寮生活を送り、寒さのなかでも厳しいトレーニングを積んだ。早大在学中は学生駅伝ではなく、世界と勝負することを第一に考えていた。大学3年時にナイキ契約選手になると、そのツテを頼り、世界トップ選手が所属していた『オレゴン・プロジェクト』に接触する。

 当初は断られたが、熱い思いと、実力が評価されアジア人で初めて〝最速軍団〟への加入が認められた。大学卒業後は、実業団チームを1年で退社。海を渡り、米国で最先端のトレーニングに挑むだけでなく、「プロランナー」の道も歩き始めた。

 2015年に5000mで13分08秒40の日本記録を樹立すると、翌年のリオ五輪には5000mと10000mに出場。2017年からマラソンに参戦して、2018年10月のシカゴで2時間5分50秒、2020年3月の東京で2時間5分29秒と日本記録を2度も打ち立てた。

 近年、世界のマラソンはナイキの厚底シューズが席巻している。それはキプチョゲらが2016年のリオ五輪でプロトタイプを履いて出場したのが始まりだった。従来は薄底で無駄をとことん省いたモデルが主流だっただけに、真逆ともいえるコンセプトになる。反発力のあるカーボンファイバープレートをエネルギーリターンの高い軽いフォームで挟み、ソールは4㎝近くもある厚底シューズが登場した。

 2017年夏に一般発売された初代モデルである『ズーム ヴェイパーフライ 4%』を日本人で初めて着用したのが大迫だった。同モデルのテスティングをするなど開発段階から携わると、ナイキ厚底シューズを相棒にマラソンで快進撃を続けた。

2017年6月27日、日本選手権、男子10000m決勝での大迫傑。写真=長田洋平/アフロスポーツ

 ナイキ厚底シューズは男女で世界記録を更新すると、男子マラソンの日本記録を4度も塗り替えた。

 大迫らの活躍もあり、国内でのナイキシェア率は急上昇した。正月の箱根駅伝は2018年から右肩上がりで、2021年は出場者210人中201人が着用。ナイキのシェア率は95.7%まで到達した。

 

東京五輪でのナイキ事情

 東京五輪のマラソンはナイキの最新カラーである白を基調にピンクブラスト、トータルオレンジ、ブライトクリムゾンを組み合わせた「ローディシアス」モデルを履いていた選手が目立った。女子マラソンは1位がアディダス、2位がナイキ、3位がブルックスとメダリストが履いていたシューズのメーカーは異なったが、いずれもカーボンプレートを搭載した厚底モデルだった。

2021年8月8日、東京五輪閉会式で行われた女子マラソンの表彰式。写真=西村尚己/アフロスポーツ

 一方、男子マラソンは金メダルのキプチョゲを筆頭に、1~4位が『ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト% 2』。大迫も同モデルを着用するなどナイキの〝一強〟といえる状況だった。

2021年8月8日、東京五輪閉会式で行われた男子マラソンの表彰式。写真=西村尚己/アフロスポーツ

 厚底は一過性のブームではなく、完全にランニングシューズの流れを変えたと言っていいだろう。

 大迫とナイキは従来の常識のとらわれないチャレンジを続けてきた。そしてイノベーションを巻き起こした。素晴らしい結果を残しただけでなく、その〝生き様〟もカッコ良かった。