メッセージの場面の重要性を分かっているか

 社長の期首訓辞などを筆頭に、経営陣・管理職が部下にメッセージを伝える機会はいろいろな局面で多々ある。

 そもそもマネジメントというのは、人が言葉などで思いや考えを伝え、相手がそれに呼応した動きをすることで、組織として成果を生むことだ。言葉によるコミュニケーションこそが唯一のマネジメント手段である。

 時に「力づくで無理やり、やらされた」とか「問答無用で強制された」というように、上の人から何かを強いられることはあるが、それとて物理的に両手両足をつかまれて動かされるということではなく、強制力を感じさせるメッセージだったということだ。

 われわれ人間社会では、人を生かすも殺すも言葉一つである。

 研究開発を担う人たちは、いわゆる頭脳労働者で、ドラッカーのいうところのナレッジワーカーで、彼・彼女らのメッセージの理解力は低くないと考えた方が賢明だ。

 マネジャーがおかしなことをメッセージにしたときに、それを疑わずに真に受けることは少なく、「何か変だな?」と勘繰る力はある。くれぐれも「どうせ、なにを言っても聞いていないだろう、理解できないだろう」などと現場をバカにした態度をとってはいけない。

 「メッセージの受け取り側に理解力がある」ということは、良いメッセージを発信すれば、理解が速く、望ましい行動につながりやすいということでもある。研究開発現場を預かるマネジャーは、良いメッセージを発信することで、望む組織づくりと良き研究開発成果を得やすくなる。

 私は仕事でさまざまな会社の幹部(経営陣・管理職)が社員に対してメッセージを発信するシーンを見てきた。はたで聞いていても聞きほれる・感動するようなメッセージを語るカリスマ性のある人がいる一方で、「この人、何が言いたいんだろう?」と正直思ってしまうような全然、内容が頭に入ってこない話をする人にも少なからず出会ってきた。 

 「みんなでがんばって何か新しいことをしよう!」「A部門とB部門でシナジーを発揮しよう!」というような感じの話に終始し、聞いている人の頭の中になんらイメージが湧かないのである。決して間違ったことを言っているのではないのだろうが、「聞き手にメッセージの内容が伝わらない」「聞き手の意欲が高まらない」という意味では、ダメなメッセージの例であると思う。