東京は五輪開催でとんでもない恥を世界に発信してしまった

「小山田圭吾」という芸能人の顔も声もよく知りません。芸能界と関わった時期を含め30年ほど仕事で音楽に関わっていますが、縁がない。

 ただ名前は大学の学園祭でスタッフとして働いてもらった後輩、小沢健二君とユニットを組んでデビューした相手として、30数年前から知っています。

 今回また再燃した話題も30年来聞き及んでいますので、その音楽にも興味がありません。

 いまの大半のメディアが取り上げる「小山田圭吾」問題は、基本的なピントがずれています。特に私が40年来関わってきた欧州由来の芸術表現倫理から一番まずい点が、ほぼ完全にスルーされている。

「子供時代に障害者差別をした」うんぬんは、ここでの倫理の議論にはなりません。

 2021年、東京五輪という国際的な文化と平和のメディア発信において、そのコンテンツの主要な「クリエーター」表現発信者としての適性を問うとき、その適性が疑われます。

 言及する記事はないかと探してみました。現時点では一つだけ(https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20210719-00248671)、今井佐緒里さんというフランス在住のEU研究者の人が、一部ポイントの重なることを書いていました。リンクしておきます。

 私が見た限り、あとは茂木健一郎氏が少しかする程度、大半は問題外でした。

メディアで繰り返した確信犯「いじめ営業」

 報道されている限り、「小山田圭吾」は3回、自らの「イジメ」を営利媒体に営業ベースで雑誌掲載しています。すべてインターネット以前の出来事で、雑誌の持つ若年層への影響は小さくありませんでした。

 最初は1991年9月「月刊カドカワ」インタビューの中で言及。

 次は、カドカワを見ていたのかどうか分かりませんが、1994年1月「ロッキング・オン・ジャパン」。これもインタビューの中で、より詳細に「性的イジメ」「排泄物を食べさせる」などに言及。

 そして一番大きいのが1995年8月「クイック・ジャパン」。これがいけません。