(英フィナンシャル・タイムズ紙 2021年7月7日付)

現代の米国についての事実をいくつか、ペアにして並べてみよう。
まず、経済では1カ月で85万人分の雇用が新たに作られた一方で、有権者の3分の1は前回の大統領選挙が「盗まれた」と考えている。
平時には例のないロックダウン(都市封鎖)が国内総生産(GDP)を3.5%しか押し下げなかった一方で、ジョージアのように大きな州が選挙管理当局者の独立性を抑え込もうとしている。
さらに、今年の経済成長率は2000年代半ばの中国のそれに等しい7%に達すると予想されている一方で、共和党では次の大統領選挙の候補者指名争いで、2度も弾劾裁判にかけられた前大統領がほぼ本命に位置づけられている。
「二都物語」さながら
米国の経済の見通しと市民社会の見通しは、これ以上ないほどかけ離れている。
クリシェ(紋切り型の表現)との戦争を踏まえ、筆者はここでディケンズの「二都物語」の冒頭の文を引くことはしない。
だが、米国人は本当に、「自分たちの目の前には何でもある」と同時に「自分たちの目の前には何にもない」、春を愛でると同時に冬を耐え忍んでいる、と主張できる。
あの国は、豊かな機能不全とでも呼べそうなものに陥っている。
個人の犯罪から国家の政治に至るまで、すべては経済が動かしているのだと確信しているある種の唯物論者にしてみれば、この話は不愉快だ。
中国が豊かになりながら、複数政党制と多元的共存を標榜する巨大なオランダにならなかっただけでも十分ひどい話だ。
米国でさえ、経済的な進歩と政治的な進歩との間に存在した相関関係を覆すとすれば、なお悪い。
何しろ、西欧と日本をしのぐイノベーションを成し遂げた時代を経て、米国は政権移行を無血で行うことができなかったのだ。