(写真はイメージです/Pixabay)

(花園 祐:上海在住ジャーナリスト)

 鎌倉時代を代表する歴史的な戦いといえば、1つは「承久の乱」(1221年)、そしてもう1つは、元軍(モンゴル軍)が九州に侵攻してきた「元寇」(1274年、1281年)で間違いないでしょう。

 特に後者の元寇は、中世日本における唯一の国際戦争であり、規模も近現代以前では最大級と言っていいほど大規模なものでした。なんといっても、中国大陸を支配するまでになった強大な軍隊が日本を攻めてきたのです。日本社会に与えた影響はきわめて大きく、後の鎌倉幕府崩壊の遠因にもなったと指摘されています。

 そんな日本人ならだれもが知る元寇ですが、近年に入り新しい発見や新説の発表が相次いでいます。それらの研究の進展に伴い、これまで半ば常識と見られていた定説が大きく覆される事例も出てきました。

 そこで今回から3回にわたり、歴史学者である服部英雄氏(九州大学比較社会文化研究院名誉教授)の著書『蒙古襲来』(山川出版社)を参考資料として、鎌倉時代の日本を揺るがした元寇について取り上げたいと思います。

 初回の今回は、1274年に起きた「文永の役」こと第一次元寇に関して、日本の武士の一騎打ち、そして元軍の残虐行為の有無を検証します。