日本二百名山でもある奥武蔵の名峰・武甲山。南側の小持山から眺めた山影。植生が豊かなだけではなく、地下水にも恵まれ清流の橋立川を形成する(筆者撮影)

(朝岡 崇史:ディライトデザイン代表取締役、法政大学大学院客員教授)

 埼玉県秩父地方の奥武蔵エリアは西武池袋線・秩父線を使ってのアクセスの良さもあり、人気の登山スポットである。「山、高きが故に貴からず」。このエリアには伊豆ヶ岳、武川岳、大持山、小持山、二子山、丸山など初心者から中級者向けの変化に富んだ山々が連なるが、その盟主が秩父市の北にそびえる武甲山(ぶこうさん:標高1304メートル)であることは衆目の一致するところだろう。

 しかし、下の写真ではっきりわかる通り、武甲山の山容は石灰石の採掘により年々、掘り崩されて、登山愛好家ならずともその姿に心が痛む状況になっている。

長年にわたる石灰石の採掘で北側(秩父市側)の標高900メートル以上の山体がごっそり削り取られていることがわかる(著者撮影)

 武甲山の石灰石は大正時代から本格的な採掘が始まり、戦後の高度成長期には秩父セメント(現・秩父太平洋セメント)、武甲鉱業、菱光石灰鉱業の3社に集約される大小の企業により最盛期は年間830万トン、近年は年間600万トンのペースで採掘が進んでいる。下の武甲山の地質断面図を見ればわかるように、山の南側(秩父市から見れば裏側)には石灰石はないため、武甲山が完全に消滅することはないが(南側はかつて武甲山がフィリピン海周辺で海底火山だった2.5億年以上前に形成された輝緑凝灰岩や玄武岩である)、数十年後に石灰石を掘り尽くしたあとは高さ900メートルにも及ぶ「巨大なピラミッド」(図の緑色の部分)が出現するだろうと言われている。植生豊かな自然が残る武甲山の南側の景観を見れば、石灰石の採掘がどれだけインパクトの大きい環境破壊か想像がつきやすいだろう。

武甲山の地質断面図(出典:秩父石灰工業のホームページ
拡大画像表示